▼ 随分昔のことです。当時、私も若く、少し血の気が多かったかも知れません。 境港から隠岐に向かう連絡船の中のことです。我が家の子供たちは、人が良いのか、人を押しのけて何かを することなど出来ない性分です。フェリーの甲板に、ソフトクリームのお店が出ており、行列が出来ていました。 我が家の子供たち3人もその行列に並んだのですが、他の子供たちが、次々と行列に割り込み、どんどん先を 越されてしまいます。いつまで経っても、ソフトクリームを買うことが出来ません。 私は側のベンチでずっと見ていまして、歯がゆい気持ちがしました。我が家の子供たちは、どうしてこうなんだろ う。気が弱いのか、人が良いのか、こんな調子では、人生の競争にも負けてしまうぞ、などと、余計な思いまで 抱きながら、ずっと、抜かれる様を見ていました。 ▼ やっと売店の前に進み、売り子に声をかける段になったら、一人の大人が、割り込みました。そして、子ども の頭越しに、自分の注文をします。 私は、その瞬間に我慢の緒が切れてしまいまして、「こらっ、子どもが並んでいるだろう。大人だったら、ちゃんと ルールを守りなさい。」と怒鳴ってしまいました。 その男は、何しろ、子どもを出し抜くような男ですから、「なんだと」と怒鳴り返し、「何様だと思っているんだ。」 アロハシャツにサングラス、「これはやばい」と思いましたが、成り行き上、仕方がありません。「いい大人が、子 どもの行列に割り込むなどいけないだろう。」 その時、女の人が声をかけました。 「お父さん、あなたが悪いでしょう。ちゃんと謝りなさい。」 その人の奥さんでした。男は、それっきり黙り、引っ込みました。 ▼ 問題はその後です。小さな女の子が、母親の手に引かれていました。 私は気付きました。私は、我が子のために、正しい抗議をしたつもりでした。しかし、その男にも子どもがいまし た。結果的に、男は、我が娘の前で恥をかかされたことになります。この場で、誰よりも悲しかったのは、この女 の子かも知れません。ソフトクリームも食べられなかったかも知れません。 行列に割り込むことと、小さな子どもの前でその父親を怒鳴りつける、どっちが罪が重いのか、反省させられま した。 所謂、義憤です。人間は、自分の利害よりも、この義憤で激しく怒ります。しかし、その怒りは、義憤は、本 当に正しいのでしょうか。 ▼ 今日与えられた聖書個所は、ヨナ書です。しかも、その末尾の4章です。説教準備にかかって、40数年、 唯の一度も説教したことのない箇所だと気付きました。これは、牧師泣かせの箇所です。 何故なら、解説など何も要らないからです。字句の解釈も、歴史的な背景を解説する必要も、全くありませ ん。 つまり、牧師には、何もなすべきことがありません。皆さん良くお読みくださいで、終わりです。聖書を読まず に、子供用の絵本を読んでも、著者の意図は充分伝わるでしょう。 ▼ 読めば誰にでも分かると言いながら、何もお話ししない訳にはまいりません。絵本程度に約めて、ヨナの話を します。 預言者ヨナは、ニネベの町に赴き、人々に悔い改めを説くようにとの、神の命を受けました。しかし、彼は行き たくありません。その進軍するところ、野は屍で埋まり、川の水は、真っ赤な血で染められたというアッシリア帝国 軍の首都ニネベです。そんな町で、お前らは、罪の故に滅ぼされると、神さまの教えを説いたなら、殺されてしま うでしょう。 万一、ニネベが悔い改めて、救われたら、ヨナにはその方が面白くありません。にっくきニネベが、神さまの怒り によって滅びる方が望ましいのです。 ▼ そこで、ヨナは船で逃げ出します。その船が嵐に遭い、沈没しそうになります。誰かが罪を犯し、ために神の 怒りを招いたのだとなり、くじを引きます。ヨナは、ここで名乗り出出て、嵐の中に投げ込まれます。そして、大魚 (鯨)に飲み込まれ、腹の中で三日三晩を過ごします。その後は、割愛しまして、悔い改めたヨナは、大魚から 吐き出され、ニネベに辿り着きます。その伝道は、不思議に効果を得、街の人は悔い改めます。 3章10節。理由がありまして、口語訳聖書で引用します。 … 神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、 彼らの上に下そうと言われた災を思いかえして、これをおやめになった。… ▼ その続きは今日の4章です。1〜3節。 … 1:ところがヨナはこれを非常に不快として、激しく怒り、 2:主に祈って言った、「主よ、わたしがなお国におりました時、 この事を申したではありませんか。それでこそわたしは、 急いでタルシシにのがれようとしたのです。 なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、 いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです。 3:それで主よ、どうぞ今わたしの命をとってください。わたしにとっては、 生きるよりも死ぬ方がましだからです」。… ヨナが神の命に逆らって逃げ出したのは、ニネベを救いたくなかったからでした。 ▼ ヨナは、神さまに逆らい、神さまを罵りました。 『わたしにとっては、生きるよりも死ぬ方がましだからです」。』これは、もっとも酷い罵りです。命を与えてくださっ た方に、『生きるよりも死ぬ方がましだ』と言ったのです。これは親に向かって、「生まれなかった方が良かった。生 んでくれと頼んだ憶えはない。」と言うのと同じでしょう。 大きな罪です。この罪は、怒りがもたらしました。その怒りとは、ニネベ・アッシリアへの義憤です。義憤が怒りを 生み、怒りが罪を犯させたのです。 ▼ 神は言われます。4節。 …「あなたの怒るのは、よいことであろうか」。… ヨナの怒りは義憤だから、良いことのように見えます。アッシリアの悪行を憎む、正しい動機に基づく怒りです。 しかし、神は言われます。 …「あなたの怒るのは、よいことであろうか」。… ニネベ・アッシリアへの憤りだけではありません。つまるところ、神さまへの怒りです。 ▼ ヨナは、ニネベが滅びる様子を、高見の見物と決め込みました。5節。 … そこでヨナは町から出て、町の東の方に座し、 そこに自分のために一つの小屋を造り、町のなりゆきを見きわめようと、 その下の日陰にすわっていた。… まるで桟敷席です。念入りです。要するに、楽しみにしています。憎むべき相手が滅びる、こんな痛快なこと はありません。自分は日陰の涼しい所にいて、人が火に焼かれ、のたうち回り、死んで行く、これが、痛快なこと なのです。それが義憤です。 ▼ 6節。 … 時に主なる神は、ヨナを暑さの苦痛から救うために、とうごまを備えて、 それを育て、ヨナの頭の上に日陰を設けた。ヨナはこのとうごまを非常に喜んだ。… 神さまは、ヨナを暑さから守るために、桟敷席に日よけまで備えて下さいました。 ヨナは、自分の抗議を聞いて、神がニネベを滅ぼされると考えたのでしょうか。ヨナは義憤に駆られています から、自分の言動が正しいと確信しています。 神さまに逆らうことも、それを聞き入れて神さまが予定を変えて下さることも、当然のように思っています。それ が、義憤というものです。 ▼ 7節。 … ところが神は翌日の夜明けに虫を備えて、そのとうごまをかませられたので、 それは枯れた。… とうごまが生えたのも、そして枯れたのも、神さまの御心です。 しかし、ヨナは、これにも不満を言います。 8節。 … やがて太陽が出たとき、神が暑い東風を備え、また太陽がヨナの頭を照したので、 ヨナは弱りはて、死ぬことを願って言った、 「生きるよりも死ぬ方がわたしにはましだ」。… またしても、ヨナは、神さまのなさったことに逆らいます。それを口に出します。 『死ぬ方がわたしにはましだ』、不用意に口に出すべき言葉ではありません。3節の言葉がまたしても繰り返さ れています。 大きな罪です。神の業を否定する言葉です。 ▼ 9節前半。 … しかし神はヨナに言われた、「とうごまのためにあなたの怒るのはよくない」。… これは4節に対応しています。4節をもう一度読みます。 … 主は言われた、「あなたの怒るのは、よいことであろうか」。… ヨナは、義の人なのでしょう。義憤が直ぐに表に出て来ます。怒りを露わにします。これは、ヨナが考えている神 さまと逆です。2節をもう一度読みます。 … あなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、 災を思いかえされることを、知っていたからです。… ヨナが自分で言っています。 そして、そのような神さまだからこそ、逃げ出して大魚に飲み込まれたヨナを、助けて下さいました。もう一度、 任務に帰して下さいました。 それなのに、ヨナは、9節後半、 … ヨナは言った、「わたしは怒りのあまり狂い死にそうです」。… ヨナは義の人かも知れません。しかし、その前に、単に怒りの人です。怒りやすい人です。別の言い方をすれ ば、短慮、浅知恵の人です。瞬間湯沸かし器のようです。事柄の、本来の意味を見ていません。考えていま せん。 ▼ 10〜11節。 … 10:主は言われた、「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、 一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。 11:ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、 あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。… これは、もう解説無用でしょう。 義憤と言えば聞こえは良いのですが、短慮、浅知恵です。大抵の場合そうではないでしょうか。何しろ、神さ まの意図を知ろうとはしません。自分が正義だからです。 ▼ イエスさまの十字架の場面を想い出します。イエスさまを特赦しようとしたポンテオ・ピラトに、人々は叫びま す。ルカ福音書23章18節。 … しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。… 群衆こそが、イエスさまに死刑判決を下しました。イエスさまを裁いたのです。その理由も、彼らなりの正義でし た。バラバを助けたい一心です。 21節。 … しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた。… 23〜24節。 … ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。 その声はますます強くなった。 24:そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。… イエスさまを裁き、イエスさまに死刑判決を下したのは群衆です。 ▼ その群衆のためにイエスさまは、十字架の上から祈りました。34節。 … そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。 自分が何をしているのか知らないのです。」… 『自分が何をしているのか知らない』、それが現実です。群衆の正義とは、その程度のことです。 群衆は、彼らなりの正義・義憤からイエスさまを裁き、イエスさまに死刑判決を下しました。しかし、イエスさま の裁きの言葉は、『父よ、彼らをお赦しください。』でした。 ▼ この赦し、神の優しさを、ヨナも体験した筈です。大魚の腹の中で、ヨナは祈りました。2章7〜8節。 … わが神、主よ、あなたはわが命を穴から救いあげられた。 わが魂がわたしのうちに弱っているとき、わたしは主をおぼえ、 わたしの祈はあなたに至り、あなたの聖なる宮に達した。… 悔い改めて祈り救われたヨナが、ニネベの人に対しては、その悔い改めを喜ばず、その救いには、憎悪を覚え る、それが、人間の現実かも知れません。 しかし、それは、イエスさまの十字架の愛を、赦しを、無にするような思いであり、行いです。主の十字架に与 った者は、悔い改めた人を愛すべきです。 |