●白河教会時代、40年以上前のことです。教会と関係が深い養護施設で、毎週火曜日に子供の礼拝を 持っていました。 赴任した年の5月、或る日の夕方、そこの園長さんから電話がありました。 5歳になる園児が急性肝炎で亡くなったので、葬儀を執り行って欲しいという内容です。 前夜式に駆けつけましたが、園児は60名もいますし、未だ一ヶ月ちょっと、名前と顔が一致しません。名前を 聞きましたが、どうしても思い出せません。 前夜式ですから、式文通りに聖書を読み、祈り、讃美歌を歌うだけです。それにしましても、私にとって、牧師 として責任を持つ、初めて葬儀です。それが、5歳の男の子の葬儀でした。 ●定められた通りに儀式が進行し、献花の段取りになりました。 その時、保母さんの一人が、亡くなった子の布団をめくり、その中に入り込んで横になりました。そして、実くん を抱きしめて、大声で泣きます。 具合が悪くなった前の晩、一緒に寝て欲しいと言うのに応えられなかったのだそうです。一人の先生で5人の 子供を担当していますし、一人の子どもだけを特別扱いすることは、出来ません。しかし、5歳なりに、何かし ら、体に異常を感じていたのででしょう。どうしても一緒に寝て欲しいと、しつこく願うのに、それを拒否してしまっ たのです。 ●さて、翌日の葬儀、プログラムは説教、しかし、最初の一言が出てきません。講壇の上で絶句してしまいまし た。何か言わなくてはと思っても、声が出てこないし、頭が回らないのです。そして、夕べの光景、若い保母さん が、死んだ子を抱きしめて泣いている様子だけが、頭に浮かんで来ます。 ●後で、奏楽を担当していた妻に聞いたら、1分か2分だったと言うのですが、私は、10分以上も、固まってい たように感じました。 突然、子ども達の一人が、ギャーと悲鳴じみた大きな声を上げ、それを合図にしたように、子供たち皆が泣き 出しました。 そうしましたら、何となく、最初の言葉が出て来まして、自然に説教が出来ました。諄いのですが、それが、私 の最初の葬儀説教です。 ●火葬前式、葬儀屋が取り仕切って、焼香になりました。 町で唯一の葬儀屋さんは、あらゆる宗派の葬儀を手がけます。彼が、キリスト教式と考えて、飾り付けた燭 台や十字架、それもイエス像の架けられた十字架やらを全部取り外して、ごくシンプルにしたものですから、彼 は痛くプライドを傷つけられたようです。そこで火葬前式が終わり、実君の棺が焼き場の炉に収められますと、 「どうせ、家に帰れば仏(ぶつ)でしょうから、焼香してもいいですね」、葬儀屋が言います。 私は、「どうぞ、皆さんそれぞれの思いで、送って上げて下さい」と、申しました。 ●先生方や、親戚縁者は、焼香します。しかし、園児たちは、焼香を拒否しました。一人として、焼香台の前 に立ちません。皆、実君を実家には帰したくなかったのだろうと思います。実家ではなくて、天国に送りたかったの です。 生々しい話ですが、こんな背景があります。急な病気とはいえ、5歳の子供を死なせてしまった園としては、大 きな責任を感じます。そこで、バスまで出しまして、半日近くもかかる実君の実家に行き、親戚縁者やら、近所 の人やらをかき集めて来ました。 しかし、その誰一人として、黒いネクタイ一本していません。普段着だって、もう少しましだろうという服装をして います。 にも関わらず、田舎では珍しくもない習慣です。骨上げまでの間に飲食をとります。そのための日本酒を、こ れは、ちゃんと忘れずに持ち、ぶら下げているのです。 そして、アルコール依存症で入院しており、仮退院で葬儀に列席した父親にまで、茶碗酒を勧めます。母親 は、何年も前に家出していて消息不明、葬儀の通知も出来ません。 園生たちは、実君をこのような親や親戚縁者のいる実家には帰したくなかったのです。実家ではなくて、天国 に送りたかったのです。 ●アルコール依存症で入院していたのに、茶碗酒を飲んでいた父親が、ふらふらと遺影の前に歩みよりました。 そして、地面にひれ伏し、泣き出しました。 私は、彼に近づいて肩を叩いて慰めの言葉をかけようと思いました。その私に、父親は言いました。 『先生、○○は、天国さ行ったなし』 『先生、○○は、天国さ行ったなし』そう言って、顔をぐちゃぐちゃにして泣きます。行ったなしとは、行ったのです よねという意味の方言です。 ●私はこの時に言わなければならない大事な言葉を、ついに言うことが出来ませんでした。今日に至るまで、悔 やまれることです。牧師としての、否、一人信仰者としての未熟さ故です。 このように言うべきだったのです。 「あなたがそのように願い信じるならば、あなたも、あなたのお子さんも救われるでしょう」。 ●Tテサロニケ4:13節以下、葬儀の式文に採用されています。 この言葉は、葬儀で用いられるくらいですから、使徒パウロの信仰・神学の中心的な使信です。しかし、現 代人の感覚からしたら、とても理解出来ないことが記されています。 特に16〜17節。 … 16:すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、 神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。 すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、 17:それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、 彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、 わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。… これを、合理的に説明することなど出来ません。 ●全く文字通りに受け止め、「信じがたいをことを信じることこそが信仰だ」と主張する人がいます。その通りでし ょう。 聖書に記されていることを、合理的に解釈し、一寸難しい言葉で言えば、非神話化することは、時には有効 ですが、下手をすると、信仰の核心部分を損なうことにもなります。大事なことは、どんなに非合理的・非科学 的に聞こえようとも、寸毫も妥協せずに、受け止めなくては、そも信仰が成り立ちません。 パウロのこの言葉は、そうした信仰の一つ、その中でも最重要なものの一つでしょう。 事実、このことこそが、初代教会の人々にとって、最も、重要、且つ、最も魅力的な信仰だったのだと考えま す。 ●魅力的だったのです。そうあって欲しかったのです。 丁度、先ほど長々お話ししました。幼子の葬儀で、焼香しなかった園児たちと同じです。その時、その瞬間だ けかも知れませんが、彼らは、天国を信じたいと願ったのです。信じたのです。 初代教会の人々は、確かに現代人と比較したならば、何事についても、非合理的・非科学的に考えていた と思います。そういう思考に慣れていたと思います。 当時、ローマ世界では、新プラトン主義が知識人に受け入れられ、アルキメデスも、一般に知られていまし た。一方で、神秘主義や、かの非科学的なギリシャ神話も、身近なものでした。 程度は違っても、根本的には、現代人と変わらないと思います。合理的・科学的な思想と、迷信とが同居し ていました。 ●私たちも、同じようなものです。 非合理的・非科学的な事柄を、無理矢理、合理的・科学的に説明しようとしても無理です。どんなに理屈 をこねても、破綻します。 しかし、私たちは、この非合理的・非科学的な事柄を、信じるのです。正確な言い方をすれば、信じたいの です。そのようにあって欲しいのです。そのように願っているのです。これが、私たちの信仰の現実、客観的に見 た時の、実際でしょう。 ●このように申しますと、「この牧師は、本当には復活信仰を持っていないのだ」と、批判する人がいるでしょう。 います。 しかし、私が言いたいのは、復活信仰は事実ではないと言うことではありません。それは、理屈では説明出来 ない、信仰の事柄だと言いたいだけです。 逆に、言葉を連ねて、また、声高く、復活を唱える人、復活の出来事の歴史性を唱える人は、一体、何を 言いたいのでしょうか。どんなに、言葉を連ねても、声高く叫んでも、それで復活を証明できる訳ではありませ ん。他の人の考えや口を封じるだけです。 他の人の考えや口を封じることが、強い信仰でしょうか。私には逆に思えます。確信がないからこそ、自分自 身に言い聞かせるために、言葉を連ね、声高く叫んでいるのではないでしょうか。 ●それでは、パウロは、言葉を連ね、声高く叫んでいる、本当は復活を確信できない人の一人なのでしょう か。勿論違います。これは、パウロの確信であり、パウロの信仰の中心部分です。 しかし、それ以上に、当時の教会員の切実な思いに答える言葉です。 例に挙げた、焼香を拒んだ園児たちは、理屈など分からなくとも、天国を信じ、少なくとも信じたいと、少なくと も、その瞬間願っていたと思います。 その真摯さの10倍も100倍も、当時の教会員は、復活を願い求めていました。それこそが、信仰です。信 仰とは、他の人が信じていないことをも信じることかも知れません。しかし、それよりも、信じたいと思うことこそが 信仰なのではないでしょうか。 ●このことを説明したいがために、敢えて脱線します。 現代は死語の時代です。死んだ後、それこそ天国や極楽の話ではありません。死んだ言葉の世界です。何 時でも、新しい言葉や表現が生まれ、その分だけ、古い言葉が寿命尽き、死んで行くでしょう。死んでも良い 言葉もあります。死んだ方が良い言葉もあります。 しかし、現代では、死んではならない言葉が、死にかけています。瀕死の状態です。 瀕死の言葉とは、例えば、正義です。この言葉が、例えば選挙の時に使われることは、滅多になくなりまし た。政治的に使われているのは、テロが横行する国々でしょう。正義を唱える政治家は、むしろ怖い人です。 平和が唱えられますけれども、それは常に戦争との裏表でしかありません。例えば、クリスマス停戦、そんなも のは平和ではありません。 他にも、瀕死の言葉が沢山あります。言葉が廃れるのは、他の言葉に取って代わられるのならよろしいので すが、その概念が、その存在理由がなくなったからです。 信仰そのものが、瀕死の常態かも知れません。現代日本では、信仰という言葉を使うのは、怪しい人たちが 多いようです。 ●パウロは、復活信仰を、それを知らなかったローマ世界の人々に伝えました。しかし、同時に、例え言葉で知 らなくとも、復活を願い求め、この信仰に立たなければ、生きていられない人々に、復活を語ったのです。テサロ ニケの人々は、現代日本人には想像出来ないような、危機的状況の中に生きていました。テサロニケの町は 繁栄していましたが、彼らは近づきつつある闇をも見ていました。その辺は現代人と変わりません。 現代人も、人それぞれに、闇を抱えて生きています。闇は突然として、光を隠して仕舞います。だから、光に 中にいる現代人こそ、闇を見ているかも知れません。闇の中にいる人は、光を見ます。 ●もう一度脱線かも知れません。 シュテファン・ツヴァイクが、ジュネーブ教会の宗教改革を鋭く批判しています。 ある婦人が、愛する息子を亡くしました。彼女は、墓の前で泣いています。それを教会が咎め、罰しました。 天国を信じない罪によって、復活を信じない罪によってです。 それが信仰の確信でしょうか。天国を信じられない人を罰するのが、信仰でしょうか。 パウロが強調して復活を説くのは、そんな意味ではありません。復活を願い求める人に、しかし、確信が得ら れない人に、慰め、励ましとして、復活を説いています。批判でも、まして洗脳でもありません。信じられない人 に、信じられないのが当たり前だからこそ、パウロは、復活を、その信仰による救いを力説しているのだと考えま す。 ●更に脱線かも知れません。ミヒャエル・エンデの『ネバーエンディングストーリー』では、おとぎの国『ファンタージ ェン』が滅亡の危機を迎えています。その存在を信じる子どもが減ったからです。国土の端っこから、崩壊し始 めています。 『復活信仰』も、教会も同様です。崩壊の危機にあります。それを復興させるのに、どんなに合理的科学的 に説明しようとしても無駄な努力です。声高に叫んでも、人が離れて行くだけです。守る術は一つしかありませ ん。教会員が一人一人が、復活信仰に希望を持って生きることだけです。希望が見えなくなっている人を咎め ても始まりません。慰めるだけです。励ますだけです。慰める、励ます、則ち伝道の業です。 |