○ 先ず、最後の13節を読みます。 『あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。 神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、 試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます』 使徒パウロのこの言葉に、「その通り」と共感し、何ら反発を感じない人がいたとしたら、何と幸せな人でしょう。小さい不幸はあっても、本人も家族も概ね幸運に恵まれ、大きな病気も事故もなく、平穏な日々を送ってきたということでしょう。大変結構、うらやましい限りです。しかし、本当にそんな人が存在するでしょうか。 とてもこんな出来事には耐えられない、我慢の限界を超えていると思ったことのない人がいるでしょうか。神さまに恨み言を言ったことは一度もない、感謝しかないという人が本当にいるでしょうか。 ○ もしそんな人がいたとしたら、その人は、自分はともかく、周囲の人間に対して関心、理解、同情が足りないだけなのではないでしょうか。 新聞やテレビを見るだけで、充分すぎる、おつりが来る程に、事件・事故、あまりに哀しい、むごたらしい出来事に満ちています。毎日毎日そうです。 この瞬間にも、食べるものもなく、飢餓に苛まれている子どもが、世界には何万人も何十万人も、何百万人も存在します。この日本にだって、三度三度ご飯を食べられない子ども、勉強したくとも、その機会が与えられない子どもがいます。それでも、感謝、感謝しかないと言えるのでしょうか。それは、周囲の人や出来事に無関心なだけではないでしょうか。 ○ いきなり私事ですが、私はこれまで二度、死んでもおかしくないような病気をしました。正に死の苦しみを味わいましたが、しかし、特に後遺症もなく、今は普通に生活出来ています。 そうしますと、結果的に『耐えられないような試練』ではなく、『試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えて』いただいたことになるのかも知れません。 多くの人が、同様の体験をしていると思います。『耐えられるよう、逃れる道をも備えて』いたからこそ、今も、生き延びているのに違いありません。 ○ しかし、一方で大事な家族を失った体験を大抵の人が持っています。否、誰もが持っています。私の場合ですと、父を亡くしました。83歳でしたから、これは自然と言えば自然、母は99歳で健在ですから、それこそ、神さまに不平・不満は言えません。 しかし、兄は一生の闘病の果てに、40歳に満たずして亡くなりましたし、弟は、50歳で自死しました。 『あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです』 とてもそんなことは言えません。言ったらむしろ問題でしょう。 そんなことを平気で言える人は、ただ冷酷なだけです。 程度の差こそあれ、殆どの人が、『人間として耐えられないような』体験を持っています。 ○ それでは、使徒パウロは何故こんなことを言ったのでしょうか。パウロは『人間として耐えられないような』体験をしなかったのでしょうか。 そんなことはありません。パウロの言葉によれば、Uコリント11章23節以下。 『苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、 鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。 24:ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。 25:鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、 難船しことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。 26:しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの 難、町での難、 荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、 27:苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、 寒さに凍え、裸でいたこともありました』 ○ それでも結果的に、このような苦難を乗り切り、無事に帰還できたから、『人間として耐えられないようなものはなかった』ことになるのでしょうか。否、パウロは最後には十字架に架けられます。そして、そのことを早くから覚悟していました。 パウロは、信仰を持っていれば、試練に遭わないと言っているのではありません。信仰を持っていれば、倒れないと言っているのではありません。信仰を持っていれば、絶望しないとさえ言っていません。 Uコリント4章8〜9節。 『わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、 9:虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない』 Uコリント6章8〜10節。 『死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、 殺されてはおらず、 10:悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、 無一物のようで、すべてのものを所有しています』 他にも似たような表現が随所にあります。 また、Tコリント2章3〜4節。 『そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。 4:わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、 “霊”と力の証明によるものでした』 パウロも倒れます。パウロも不安を覚えます。時に絶望します。 しかし、それでは終わりません。 ○ この話を中断して、1節に戻ります。 1〜6節、長いので読みませんが、要約すれば、モーセに率いられてエジプトを脱出できたユダヤ人たちは、そのことへの感謝の気持ちは直ぐに忘れてしまい。不平不満を言うようになった、海が二つに分かれるという奇跡を目の当たりにしていながら、不安に駆られて神さまから離れ、偶像を拝むようになった、このように批判されています。 ○ 7節を読みます。 『彼らの中のある者がしたように、偶像を礼拝してはいけない。 「民は座って飲み食いし、立って踊り狂った」と書いてあります』 不安に駆られたからです。昔も今も、人はそのように行動するもののようです。不安になると、その気持ちをごまかすために、『飲み食いし』『踊り狂』うもののようです。平静ではいられません。普段通りには出来ません。飲み食いしたり、踊ったりする人は皆そうだとは言いませんが、不安に駆られて『飲み食いし』『踊り狂』うことはあるようです。一人ひとりもそうですし、時代がそのような行動を取る場合もあります。 そもそも日本のお祭りは、大災害の後で、むごたらしく死んで行った人々の慰霊のために執り行われたのが起源だと聞いています。慰霊のために、その後を省けば、『飲み食いし』『踊り狂』うのです。結局不安だからでしょう。 ○ 8節。 『彼らの中のある者がしたように、みだらなことをしないようにしよう。 みだらなことをした者は、一日で二万三千人倒れて死にました』 『飲み食いし』『踊り狂』う延長上で、『みだらなこと』に走る場合もあるようです。多いかも知れません。日本の昔の盆踊りなどもそうでしょう。 『みだらなこと』と指摘しているのは、具体的には偶像崇拝のことです。しかし、明らかに、偶像崇拝と『みだらなこと』即ち淫行とを重ねています。 旧約聖書にも、この二つが重ねられて描かれることが少なくありません。理由は、バアル宗教のような土俗の宗教が、全くその通りだったからです。日本の宗教も全く同じです。 ○ 9節。 『また、彼らの中のある者がしたように、キリストを試みないようにしよう。 試みた者は、蛇にかまれて滅びました』 出エジプト記の記述に添ってですが、随分ときついことが言われています。パウロらしくありません。『試みた者は、蛇にかまれて滅びました』。 神を試みることは、パウロにとって、絶対にあってはならないことだったのでしょう。 パウロはむしろ神に試みられた人です。先ほど挙げましたように、様々な試練がパウロを襲いました。パウロはこれに耐えました。単に耐えたのではなくて、そこに神さまの試みを見たのです。逆に言えば、試み・試験こそが、神がパウロを用いている、パウロが神の道を歩いている証拠だったのです。 ユダヤ人はしるしを求めるとパウロは言います。ユダヤ人が求めるしるしは、何かしらラッキーなことですが、パウロは試練をこそ、しるしと見るのです。 このことが、信仰に生きるものと、そうではない者との決定的な違いです。 ○ 脱線になることを恐れながらも、私の体験したことをお話しします。既に文章に書いていますので、自分の文章を引用します。全体の後半部分です。 ▼ある朝、地方局のニュースを見ていました。画面に角さん(仮名)が映っています。知人の顔をテレビで見るということ自体が、初めての体験でしたから、じっと見入りました。 ある地方企業が5億の負債を抱えて倒産し、債権者が詰めかけた。それがニュースの内容でした。そして、債権者代表が角さんでした。 私はとっさに計算しました。債権者が7人、単純割りしても、1件7千万円以上、債権者代表になるくらいだからもっと額は多いだろう。大変だ、彼の損失は2億かも知れない。 ▼取り込み中とは思いましたが、いても立ってもいられず角さんの自宅に伺い、初めて、彼の書斎に招き入れられました。 彼はソファーに掛けて、タバコをくゆらしています。 「ばれてしまいましたね」それは、タバコのことでした。 肝心の倒産、未収金のことを尋ねますと、 「まあ、ひどい目に遭いました。しかし、商売をしていればこういうこともあります」 私がなおも、お見舞い慰めを言うと、 「先生、私も一応信仰を持っていますから」 それで、この件はおしまいでした。 店構えは決して大きくはありませんが、1億や2億で潰れるような会社の規模ではなかったようです。 それにしても、この状況で言える言葉ではありません。 「私も一応信仰を持っていますから」 ▼数年後、またも地方局のニュース。それは交通事故を伝えるものでした。初めてバイクを手にした少年が、夜通しドライブしたあげく、早朝に自動車に突っ込み転倒、ヘルメットをしていなかったこともあり、はね飛ばされた縁石で頭を打ち、間もなく死亡したというニュースでした。 その自動車を運転していたのが、角さんでした。 ▼私は直ぐに彼の家に向かいました。書斎に上がったのは2回目です。角さんはタバコを咥えていました。吸い終わると、直ちに次の火を点けます。何も、一言も言いません。ただ、部屋の中をグルグルと歩き回っていました。私のことも、目に入っていたかどうか。 ▼詳細は知りませんが、事故はほぼ一方的にバイクの少年に非があると判定されたようです。しかし、角さんの落ち込み具合はひどいものでした。 この時は、「私も一応信仰を持っていますから」とは言いませんでした。 ▼大分時間が経ってからのことです。 角さんが癌を患って、余命いくばくもないという話が伝わって来ました。転任していた私は、飛行機と新幹線を乗り継いで、見舞いに行きました。 ベットの上の角さんは、 「先生、久しぶりですね。お元気でしたか」 そうして、新任地の様子や、土地のことをいろいろと聞きます。 お見舞いの言葉を差し挟む余地がないくらい、饒舌でした。彼には、極めて珍しいことです。 ▼やっとお見舞いを言い、慰め、そして、お祈りしました。 「大丈夫ですよ先生、私も一応信仰を持っていますから」 その年の内に彼は亡くなりました。 ○ 10〜11節。 『彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。 不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました。 11:これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、 時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです』 『時の終わりに直面している』これが、今日の箇所を読む時の大前提です。初代教会は、余の終わりが時間的にも切迫していると考えていました。それが大前提です。 私たちはどうもそのようには考えていません。100年後も200年後も、この世界は続くし、1000年後だって世界はあると考えています。あるかも知れませんし、ないかも知れません。 ただ確かなことは、どんなに長寿を与えられても、人は何時か、老い、病を得、そして死んで行きます。この厳とした事実を前提にして、13節を読まなくてはなりません。 『あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。 神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、 試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます』 人は比較的恵まれたと見える人生を過ごしても、端から気の毒に思われる人生が与えられても、最後は、一人残らず、老い、病を得、そして死んで行きます。 その人生の中で、この13節は語られているのです。 人生の時々で、感謝を思うこともあるし、逆もあります。それが人間です。そして人生を振り返る時に、「私も一応信仰を持っていますから」と言えるかどうか。これだけです。 |