○ 30年も前の話になります。島根県の松江北堀教会に赴任して一年目の秋11月でした。松江北堀教会員が亡くなって、葬儀を執り行いました。松江での最初の葬儀です。慣れない、土地の風習があり、教会の決まりがあり、大変に緊張します。そこに、一つ面倒なことが持ち上がりました。当時の私には面倒なことと思われました。 故人は、町の有力者で、葬儀には500人が列席しました。教会の礼拝堂は100人で一杯です。集会室にモニターを付けたり、礼拝堂の外にテントを張り献花台と受付を置くなど、いろいろと工夫して、500人をさばかなくてはなりません。 そこに、もう一つ面倒が出来たのです。それは、故人が深く関わっていた男声合唱団が、葬儀の中でレクイエムを歌わせて欲しいと言って来たのです。この指揮者も団長も、田舎の有名人です。無下に退けられないし、かと言って、20数名の合唱団の座席を用意することも困難、そもそも、葬儀とは礼拝に準ずるものです。その中で、北堀教会員でもないし、クリスチャンでさえない人が歌います。オルガンを弾くのも、普段のオルガニストではありません。 ○ 一方で、これは葬儀の常、役員会を開いたり、他の誰かに意見を求めたりしている暇はありません。即答が求められました。 とっさに思いついたのは、葬儀の前半を葬儀式とし、後半を告別式とすることでした。葬儀は教会の決まり通りに行うけれども、告別式は、遺族の意向に添って行うということでした。そうしますと告別式は、かなり自由な形で執り行うことが出来ます。献花や弔電披露もここで行います。 葬儀で弔電が披露されますが、私は常々違和感を持っていました。わざわざ駆けつけてくれた人が、一人ひとり紹介される訳でもないのに、どんな事情かは分かりませんが、列席しなかった人の弔電だけが読まれる、何だかおかしなことだと考えていました。 まあ、それも遺族の意向に添った告別式なら、自由な形で出来ます。 ○ 回り諄くなっていますので結論を言いますと、指揮者に弔辞を読んで貰うことにしました。その弔辞の中で、故人を偲んで讃美を捧げたいと思いますと言って貰って、そのタイミングで、礼拝堂の両脇通路部分に、計30名近い男性が、進み出て、曲は忘れましたが、レクイエムを歌って貰いました。 これが素晴らしい歌声です。この合唱団は、ほぼ毎年、中国地方の予選で優勝し、全国大会に出場するというハイレベルな合唱団だったのです。全国大会でも、銀賞を得たことがあると聞きました。 ○ 牧師には珍しく音楽に疎く、音痴の私でも、その歌には、ただただ感動しました。 個人的なことで言えば、私が音楽、教会音楽というものに興味をもった最初でした。 こんなことを言ったら牧師としては恥ずかしいことかも知れませんが、礼拝の中で讃美歌を歌うということの意味が、初めて分かったというか、実感しました。 そして、何故、教会の中でこそ、音楽が大事にされ、世界でも日本でも、キリスト教が、教会が音楽をリードしてきたのか、その意味が分かったように思いました。 ○ ついでにお話ますと、その合唱団の団長と、その夫人が、後日教会を訪ねて来まして、「かねがね考えていたけれども、教会を知らず、キリスト教を知らないで、歌うことには限界がある。教会で歌わせて貰って、つくづくとそのことを思い知った。ついては、聖書を勉強したい」、このように言うのです。 直ちに、毎週火曜日の夕方から、私とこの夫妻の3人だけで、聖書を読み始めました。団長は、アナウンサーで、FMラジオの番組を持っています。その生放送を終えた後、休まず教会にやって来ます。その生活が4年半続き、長くなるから経緯は端折りますが、結局夫妻で一緒に洗礼を受けました。 洗礼を受けた後も、この会は続けられました。聖書を知らない音楽家と、音楽を知らない牧師とで、楽しい学びが10年も続いたのです。 ○ さて、突然話題が変わります。 今年は6月2日が、ペンテコステ、聖霊降臨日でした。ペンテコステ、お祭りに集まっていた人々の前で、イエスさまの弟子たちが聖書について語っていると、 『突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 3:そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 4:すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、 ほかの国々の言葉で話しだした』 使徒言行録に、このように記されています。ペンテコステ、聖霊降臨日、教会の誕生の時とも言われます。 ○ 私は、この出来事と、音楽とが重なるように思われてなりません。 聖霊と音楽とが、とても似ているように思います。 聖霊も音楽も、人の目に見えるものではありません。音楽は勿論、耳に聞こえますが、聖霊には音もないかも知れません。 目には見えないけれども、しかし確かに、そこに存在し、人の心に、魂に語りかけて来ます。人の心を、魂を、強い力で揺り動かします。 ○ ペンテコステの出来事は、別々の国で生まれ育った者が、聖霊という一つ言葉を話し、互いに心を結ばれた出来事だと説明されます。その通りです。聖霊という共通語を与えられたと言って良いでしょう。 しかし、厳密には、『一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、 ほかの国々の言葉で話しだした』とあります。 つまり、一つ言葉を話したのではありません。てんでに、別の言葉で、それぞれの国語で話したのです。 しかし、その別々の言葉・国語が、一つもののように、人々の心に入り、人の心を、魂を、強い力で揺り動かしたのです。 ○ 音楽に疎い私が分かったようなことを言うのは恥ずかしいのですが、これは、間違いではないと思って言います。 合唱とは、大勢の人間が、一つの楽譜を読み、一つ音程で、同じ高さ、強さの声を出すことではありません。 それぞれが、自分の声で歌い、しかし、それが一つものとなって、聴く者のこころに語りかけます。 歌声のみならず、楽器も同様です。楽器こそ、いろんな異なる音色を持っています。強い個性を持っています。しかしそれが一つに合わされ、一つ音楽を奏でます。 人や楽器が、個性を抑え、殺し、それで一つになったら、それは決して豊かな音楽ではないでしょう。 ○ ペンテコステの出来事は、教会の誕生日だと言う人がいます。その通りかも知れません。聖霊の働きが、出自も異なり、性格も思想も好みも違う者を結びつけ、深い意味で互いの理解をもたらします。 いろんな個性を持った人が、それぞれの個性を認め合い、それでなおかつバラバラになることなく、一つになる、それこそが聖霊の働きなのです。 極めて具体的な話をします。 讃美歌を歌う速度が遅すぎる、楽譜にある通りに歌わなくてはならない、そう言って、他の人よりも常に一テンポ早く歌う人がいます。会衆が付いてこれない程の速度で弾くオルガニストがいます。 私にはこういう人の音楽レベルは分かりませんが、このような人が礼拝を、教会を理解していないことだけは確かです。 ○ 私は、普段、説教で聖書に絞って話すことを心がけています。今日は、実に異例なことで、説教時間の半分を過ぎたのに、聖書に基づいた話を未だ全然しておりません。 チャペルコンサートも礼拝ですから、聖書の話を致します。 ○ 今日の聖書箇所の2章3節をご覧下さい。 『そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした』 パウロは過酷な日々を送っていましたから、『衰弱してい』たのは仕方がないかも知れません。しかし、『恐れに取りつかれ、ひどく不安でした』とは、何ともパウロらしくないと言いますか、パウロのイメージに合いません。 どんな迫害にも負けない、暴力にも屈しないパウロです。Uコリント11章にはこのように述べられています。少し長い引用になります。 『彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。 わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです。 23:キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、 わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、 投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、 死ぬような目に遭ったことも度々でした。 24:ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。 25:鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、 難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。 26:しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、 荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、 27:苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、 寒さに凍え、裸でいたこともありました』 パウロは迫害や暴力に屈する人ではありません。 ○ しかし、そんな強いパウロが、打ちひしがれて、弱々しくなることがあります。 パウロほどの人でも、『恐れに取りつかれ、ひどく不安』になるようなことがありました。それほどの出来事、理由とは、コリントの教会員が、パウロに反旗を翻したことでした。 Uコリント11章の続きです。 『このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、 あらゆる教会についての心配事があります。 29:だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。 だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。 30:誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう』 ○ 強いパウロが弱くなるのは、教会への思いからです。教会員への深い同情からです。 それを感じない人は、強いのではなく、ずるいのであり、悪いだけかも知れません。 弱くなるべき時に弱くならない人、感しむべき時に悲しまない人、絶望すべき時に絶望しない人は、強いのでも、信仰深いのでもありません。鈍感なのか、無慈悲なのか、何れにしろ、信仰的な強さではありません。 イエスさまだって、嘆き、苦しみ、悶え苦しみ、血の涙を流されたのです。 ○ 一コリント2章1節。 『兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに 優れた言葉や知恵を用いませんでした』 パウロには、ユダヤ教の深い教養があります。伝道者の経験から得た知識もあります。しかし、パウロは、それを武器として用いることを放棄しています。何故なら、パウロに逆らったコリント教会員を、叩き、打ちのめすことが、パウロの目的ではないからです。 やっつけることが目的ではありません。コリント教会員が悔い改めること、立ち直ることこそが、パウロの願いだからです。 ○ 一コリント2章2節。 『なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、 それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです』 コリント教会の現状は、1章12節に記されているように、分裂状態にありました。 『「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」 などと言い合っている』 その中でパウロが正しいなどとは言いません。争っているからこそ、絶対に好き嫌いで分かれてはならない、『十字架につけられたキリスト』による、キリストだけによる一致を提唱しているのです。 『「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」などと言い合っている』 それでは、アポロは排斥し、ケファとの間で折り合いを付け、落としどころを見つける、そんな解決方法ではありません。『十字架につけられたキリスト』による、キリストだけによる一致が、教会の解決方法です。 ○ 一コリント2章4節。 『わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“ 霊”と力の証明によるものでした』 聖霊が、一致をもたらします。一致をもたらすものが、聖霊の働きです。分裂や争いを誘い出すものは、聖霊の働きではありません。 ○ 一コリント2章5節。 『それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、 神の力によって信じるようになるためでした』 神の力があります。音楽の力があります。信じない者は、自分を主張し、自分の力をのみ誇り、そして音楽を、信仰をぶち壊してしまいます。 |