† 私が中学生の時ですから、50年以上、60年近く昔のことです。同級生のC君が、しばしば彼の叔父さんの自慢話をします。彼の父親の兄に当たります。陸軍中佐で戦死したと聞きました。田舎町で、陸軍中佐なんて他にはいませんから、それだけで自慢になります。折しも軍国少年漫画が大流行でした。昭和35年から45年くらいでしょうか、戦後15年から20年経っています。 やっと実現した平和な民主主義の時代だった筈ですが、何故か、零戦や特攻隊員の漫画が大人気でした。 戦後15年から20年を経て、日本という国が経済力を付け、戦争で失われた自信を取り戻しつつあった時代なのでしょうか。 † そんな風潮でしたから、C君の叔父さん自慢はエスカレートし、何時の間にか、英雄扱いになっていました。 そこまではよろしいのですが、この時代は同時に、60年安保の後、70年安保の前の時代でもあります。戦争反対、安保反対という言葉が、田舎まで聞こえて来ました。 C君の叔父さん自慢も少し変質しまして、「叔父さんは戦争に反対だった」と言い出しました。「この戦争は負けると言っていた」という話になりました。 私は自慢できるような親戚なんかありませんから、妬みだったのでしょうか。つい、口にしてしまいました。 「戦死すれば特進するから、本当は少佐か、もしかしたら大尉だったんじゃないの」 もう一つ余計なことを言いました。 「C君が生まれる7年も前に戦死しているのに、戦争反対だったなんてどうして分かるの、当時戦争反対なんて言ったら軍法会議じゃないの」 これで、彼とは絶交になりました。彼が中学の生徒会長に立候補した時に、私は頼まれて応援演説をしました。そのくらいの仲だったのに、以後口をきいたことはありません。 † 随分後になっても、このことを思い出しては悔やみました。口にすべきことではありませんでした。しかし、同様に、祖父は何々戦争で手柄を立てたとか、逆に、戦争反対だった、戦争で負けることを預言していたという話は、多くの人から聞きました。自慢話として聞かされました。 私は性格が悪いのか、それに反感を持ちます。皮肉の一つも言いたくなります。私の父はただの1等兵で、戦争の話は一切しませんでした。ただただ辛い日々だったようです。顔を見たことのない叔父が二人戦死していますが、自慢話などはありません。 しかし、この頃考えるようになりました。C君の言ったことも、他の多くの人が言うことも、本当のことかも知れないと。嘘でも大げさでもないかも知れないと。 † 人間は矛盾に満ちた存在です。戦争礼賛と戦争反対と、同じ口で、同時に叫ぶことが出来ます。どちらも、決して嘘ではありません。 今現在だって、同じようなことを言っています。叫んでいます。 † 15〜18節に記されていることは、歴史的事実かどうか疑わしいと言う人が多いようです。19節はあり得ないと言うのがむしろ定説でしょう。そうかも知れません。その通りかも知れません。しかし、聖書が何を言いたいのかは、良く分かります。 20節から順に読みます。 … しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、 イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。… これは扇動です。群衆は、『祭司長たちや長老たち』に扇動されました。群衆には、イエスさまの死刑を望む特別な理由はありません。 † 21節。 … そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、 人々は、「バラバを」と言った。… 群衆は、イエスさまに特別な悪意はありませんが、バラバを英雄視していました。他の聖書と併せても、詳しい情報は得られませんが、推測は出来ます。バラバは、強盗で同時に、言い換えればテロリストだったのでしょう。彼はローマ兵を殺したようです。テロ行為だったのか、強盗だったのかは分かりません。しかし、群衆は、彼を英雄視しました。 現代でも良くあることです。強盗なのか誘拐犯なのか、テロリストなのか判然とはしません。それでも、群衆は、彼を英雄と見做します。 † 22節。 … ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、 どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。… 15節が話の前提です。歴史的事実かどうかはともかく、福音書の意図は良く分かります。群衆は、イエスについてはさほど関心がありませんが、バラバを救いたいので、イエスさまについては、『十字架につけろ』と言いました。『祭司長たちや長老たち』の扇動の結果に過ぎません。 † 23節。 … ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、 群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。… 『どんな悪事を働いたというのか』、そんなことには群衆は関心がありません。ただ、ローマ兵を殺したバラバを、死刑から救いたいだけです。そのためには、他の誰が殺されようと、関係ありません。 現代だって同じです。自分が考える正義のためならば、誰がその犠牲になって死のうが、関係ありません。 † あまり詳しくはお話し出来ませんが、大曲教会の荒井牧師は、Kという社会党の国会議員を嫌っていました。 大曲教会の特別伝道集会に、賀川豊彦先生を講師に招き、駅に迎えに出ました。そうしましたら、K議員も出迎えに出ていました。勿論、社会党からです。 荒井牧師は、かの賀川豊彦先生に向かって、「あなたは大曲に何をしに来たのか、説教ではなく、政治集会のためならば、我が教会に来て貰わなくても良い」と言い放ちました。 それほどK議員を嫌ったのには、それなりの理由があります。 Kは、かつて愛国青年でした。大曲教会の礼拝に石を投げ込んだこともあったそうです。しかし、戦後、ころりと立場を変えて、洗礼を受けました。そこまでは大いに歓迎だったかも知れません。しかし、その後、協会歩脱会し、共産党に入党しました。更に立場所を変え、社会党から国会に出ました。 † こんな話はざらにあります。変節漢とも言えますが、その時々に、その人なりの正義があったのかも知れません。 しばしばNHKの朝ドラに、そのような場面が映ります。たすき掛けの愛国婦人会です。あの人たちは、戦後はどうしたのでしょうか。 戦争中、あの朝日新聞も国策に従った記事を書き、若者・愛国少年を生み出し、戦場に送りました。しかし、当時の記者で、戦後新聞社を去った人は少ないでしょう。 私は一人を知っています。退社し、マスコミを退き、横手の町で、『たいまつ』という小さな小さな新聞を発刊しました。ミニコミという言葉などなかった時代です。何度かお訪ねして、叱られたことがあります。しかし高校生の同人雑誌に原稿を寄せてくれました。 その時の言葉は忘れられません。 「本当に書きたいことを書きなさい。書かなければならないことを書きなさい。書くために書いてはなりません」。リルケの『若き詩人への手紙』と同趣旨だと言うことは、後々知りました。 その人は、むのたけじさんです。後には、評論家として多くのマスコミ記者から尊敬される存在になりましたが、生涯横手の町に留まり続け、『たいまつ』紙を出し続けました。 戦争に協力したことへの贖罪です。それを貫きました。 † 24。 … ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、 かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、 群衆の前で手を洗って言った。 「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」… ピラトは、彼なりに判断しました。要求を退ければ、騒動になるでしょう。ピラトの仕事は、何よりも、エルサレムの治安を維持することです。そうすれば、ピラトの経歴に汚点が付くことにもなりますが、無駄な血が流れる考えたのかも知れません。 誰にも、何時でも、その人なりの正義があります。嘘ではないかも知れません。 † 25節。 … 民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」… これもまた、嘘ではないのかも知れません。 勿論、イエスさまを殺した責任がユダヤ人にあり、その子々孫々までも、その報いを受けるという意味ではありません。 欧米のユダヤ人差別には、この事件が背景にあるそうですが、そんな考え方をするのは、ただ聖書を知らないだけであり、かつ、無知なだけです。 しかし、このように言わなくてはならないだけの罪を犯していることも事実です。無知なユダヤ人の群衆だけではありません。扇動に載って、戦争に加担した全ての者がです。 † 26節。 … そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、 十字架につけるために引き渡した。… 繰り返し繰り返し読んでいるのに、この度、改めて、もしかしたら初めて、思った感想があります。 『ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打って』とあります。バラバに対しては、何の罰も加えずに釈放し、『イエスを鞭打って』です。逆なら分かります。これから十字架に付けるのに、敢えてその前に鞭打つ必要はないように思うのですが。 これは、ピラトが与えた刑罰は、鞭打つだけだという意味なのではないでしょうか。その後のことは、ピラトの責任ではなく、『「十字架につけろ」と叫び続けた。』者の責任だという意味ではないでしょぅか。 『「十字架につけろ」と叫び続けた。』者がいます。ユダヤ人だけではありません。太平 洋戦争の時もそうです。『「十字架につけろ」と叫び続けた。』のです。 † それとも、十字架だけでは足りないとばかりに、鞭打ちまで付け加えたという強調でしょうか。それは、37〜31節につながります。28〜30節。 … 28:そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、 29:茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、 その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。 30:また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。… 何故、このような狼藉を働いたのでしょうか。兵士たちとは、ユダヤ人ではありません。勿論、ユダヤ教徒ではありません。『祭司長たちや長老たち』に扇動されたのでもありません。イエスさまを憎む理由はありません。もし憎む理由があるとすれば、それは面倒臭いからでしょう。やりたくもない仕事をさせられるからでしょう。 † 十字架は残酷な刑罰です。日本の時代劇に出て来る張り付けは、これに比べたらまだ優しいものです。つまり、手足を縄で縛り、ひと思いに槍で突きます。即死でしょう。 十字架は、両掌、両足を釘で打ち付けます。人間の身体の中で、神経が集まり特に痛いところです。そこに釘を打ち込みますから激痛です。そして釘を抜かない限り、あまり血は出ません。十字架では、出血ではなく、疲労と絶望が死をもたらします。 時間がかかります。人によっては、3日も、もがき苦しみ、うめき声を上げます。誰かが助けに来るかも知れませんから、兵士は、これを見張っていなくてはなりません。夜もです。兵士たちには、今後3日の寝ずの番が強いられたのです。 クリスマスの場面には、夜寝ずの番をしている羊飼いと、夜寝ないで星の観測をしている博士たちが登場します。十字架の場面にも、寝ないで、番をしている兵士の姿があります。ペトロたちが3回眠りこけた話もあります。これは、偶然ではないでしょぅ。 † 28〜29節をもう一度読みます。 … イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、 29:茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、 「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。… これが、イエスさまの即位式でした。勿論、ローマ兵はふざけて行ったのですが、これこそがイエスさまの即位式となりました。十字架に付けた者が、即位式を執行したのです。 |