★ 先ず2節の前半だけを読みます。 『彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに』 何があったのでしょうか。『苦しみによる激しい試練』とは、具体的にどんな出来事なのでしょうか。そもそも、『苦しみによる激しい試練』という言葉の意味が分かりません。 口語訳聖書では『彼らは、患難のために激しい試錬をうけたが』となっています。これも、失礼ながら、日本語として成立していないとしか、言えません。 直訳では、例えば岩隈直訳『艱難の中に十分に確証されたことによって』、ますます分からなくなります。 しかし、何を意味するのか、厳密には分かりませんが、一方、何だか解ったような気になります。『苦しみによる激しい試練』のうち、どちらかを取ってしまったらよいのではないでしょうか。すなわち、「彼らは苦しみを受けていたのに」それとも「彼らは激しい試練を受けていたのに」、これならば普通の日本語ですし、意味をなします。『苦しみ』と『激しい試練』とを重ねて表現したくなるような出来事に遭っていたのだと考えます。この『苦しみ』は、単なる苦しみではなく、真の救いを見出すためには必要な『激しい試練』だったのだと解釈してよいかとも思います。 ★ パウロをこのように言わせた出来事は何だったのか、使徒言行録や歴史の本、コリント書の他の箇所を調べれば、ある程度まで特定することが出来ますでしょう。 しかし、使徒パウロは、具体的には記していません。記す必要がなかったのでしょう。記してはならなかったのでしょう。何故なら、特定すべきことではないからです。 ですから、私たちも、詮索する必要はありません。特定しないことによって、このことが誰にも当てはまる普遍的な真理となります。 詮索して確定する必要はありませんが、自らに当てはめることは出来ます。 今、この礼拝に集う人の中にも、『苦しみによる激しい試練を受けていた』人が、或いは、今現在も『苦しみによる激しい試練を受けてい』る人があるだろうと思います。そのような人に、パウロの言葉は向けられ、語られています。 この点についても、それは誰だとか、どんな『激しい試練』なのかと詮索することは、殆ど意味がありません。 ★ 2節の続きを読みます。 『その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て』 ここも、何とも分かりにくい表現です。ギリシャ語一つ一つに分解して、子細に見た方がよろしいでしょうか。よろしいかも知れませんが、多分、今の形よりも分かり易くはなりません。私も一応やって見ましたが、紹介しない方がよろしいでしょう。 何とも分かりにくい表現ですが、何だか伝わってくるものがあります。分かります。 一つだけ解説をしますと、『満ち満ちた喜び』とは、信仰を得て魂が救い出された喜びのことです。『極度の貧しさ』とは、文字通りでしょう。この二つは、本来別々のものかも知れません。しかし、マケドニアの諸教会のキリスト者には、これが結び付き、一緒になったのです。『極度の貧しさ』にも拘わらず、むしろ『極度の貧しさ』の中で、『充ち満ちた喜び』があり、そして、あふれ出たと言うのです。 ★ もう少し続きを読みます。 『人に惜しまず施す豊かさとなったということです』 『満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなった』 非常に分かり難い表現です。しかし、分かります。 分かりにくいパウロの表現に勝る正しい表現はないと思います。しかし、蛇足を恐れず、敢えて言えば、『極度の貧しさ』の中で、しかし救いに与り『満ち満ちた喜び』が与えられ、それはあふれるばかりの激しい思いになったということでしょう。 ★ このような比喩は、本来の言葉を補うようでいて、実は、水で割って、希薄にしてしまうのではないかと、危惧しながら、ですから、遠慮しながら言います。 人は貧しさを体験して、初めて、貧しい者に同情することが出来ます。 自分が貧しさを体験することで、他の人の貧しさを思いやることが出来ます。 ★ 1節に戻ります。 『兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。』 先ず語順から言いますと、丁度逆です。『知らせよう、あなたがたに、恵みを、神の』。 『知らせよう』というのは、パウロの感情が強く込められた言葉であって、単に知識を伝えるというような意味合ではありません。 『知って欲しい』『知るべきだ』『これを知ったならば』、文法的にはともかく、パウロの気持ちは、そういう意味合を込めたものです。 ★ 『あなたがたに』、ここにも強調があります。他の誰でもない、あなたがたに、つまり、コリントの教会員に、知って欲しいのです。彼らと、この情報を共有したいのです。むしろ、この出来事を共有したいのです。情報にどれ程の値打ちがあるかということよりも、誰とこの情報を分かち合うかが大事なことです。 誰もが体験的に知っていることです。一つの知らせ、一つのニュースを誰に伝えるのか、誰と分かち合うのか。これが、時には事柄そのものよりも大事です。誰それに真っ先に伝えたい、誰それに伝えるまでは、他の人には伝えてはならない、そんな知らせがあります。 パウロは、今、そのように意気込んで、一つの情報を、コリントの教会員に伝えます。コリント教会員にこそ伝えたいと考えます。 ★ そのような思いで、何を伝えたいのか。それは、『神の恵み』です。 それでは、一体どのような『神の恵み』が実現したのか。『マケドニヤの諸教会に与えられた』『神の恵み』とは、一体何事であったのか。 2〜5節に記されていることを見ますと、要するに、マケドニアの諸教会の教会員たちが、自分たちの貧しさにも拘わらず、困窮しているエルサレムの人々、教会員のために、沢山の献金を捧げたという事実そのものです。 献金という、実に具体的な業を通して、神さまの業ために働くということ、神さまと、使徒たちと、神の国の努めを共有するということを言っているのです。 ★ しかし、究極パウロが論じているのは、お金の話ではありません。そうではなくて、神さまの業に、一人ひとりが参画して、自分の場所を持つということです。神さまのなさる伝道・教会形成の事業の中で、自分の役割を見出すということです。 それが恵みです。神さまから何かをいただいて感謝する、恵みとは、そういうことではありません。神さまのために、教会のために働くこと、それが恵みです。度々繰り返しますが、恵みという字は、使命と置き換えた方が遙かに分かり易くなります。 3〜5節。 『彼らは力に応じて、否、力以上に施しをした。すなわち、自ら進んで、 4:聖徒たちへの奉仕に加わる恵みにあずかりたいと、わたしたちに熱心に願い出て、 5:わたしたちの希望どおりにしたばかりか、 自分自身をまず、神のみこころにしたがって、主にささげ、 また、わたしたちにもささげたのである』 これは、決してお金だけの話ではありません。神さまのなさる伝道事業に自分を捧げる話です。神さまのなさる伝道事業の中に、自分を見出す話です。 ★ 6節以下は、実は背景にかなりややこしい事情を持っています。詳しくお話していると切りがありません。約めて申しますが、コリント教会とパウロとの関係がこじれにこじれていた時、パウロを批判する人は、パウロに託した献金の使い道に疑問があると言い出しました。これは、もう、どうしようもない批判です。最後通告です。こんなことを言われたらお仕舞いです。如何に事実無根であっても、否、事実無根だからこそ、弁明も出来ません。解決策はありません。 パウロも、ちょっと乱暴な言い方をしますと、根に持ったと見えまして、コリント書の中で、自分はコリント教会員の献金では生活しないということを強調しています。それでいて、他のガラテヤ地方の人々は自分を支えてくれたと言っていますから、やはり、意固地になっているのではないかと思います。 ★ ところが、10節以下で、エルサレム教会とそこにいる貧しい人々のための献金は、最後までやり遂げなさいと、コリント教会に勧めています。 私だったら、とてもこんなことは言えません。話がもめた、こじれたきっかけがお金のことだったのに、こんな話は出来ません。コリント教会では献金の話は避けて通ります。しかし、パウロはここに真っ正面から斬り込むのです。 一つには、パウロが全く清廉潔白だからです。使途不明金などとはとんでもない、そんな事実はかけらもないからです。微妙な話をするもう一つの理由は、この問題を解決することが、コリント教会員の真の悔い改めになるからです。 ★ こういう機会がないとお話出来ませんから、申します。 パウロはテント作りの仕事をしながら伝道牧会した、だから牧師も謝儀など貰わないで、教会のために働くべきだ。 このように考える人、言う人がいます。私の経験では、一つの教会に必ず、一人二人はこのように主張する人がいました。一つの考え方です。そのように考えるのは自由ですし、主張するのもよろしいでしょう。確かにそのような教会、教団も存在します。 しかし、この説に立ちますと、牧師として働くのは、生活の糧を得る職業を他に持つ、特別な人に限定されます。それも、普通のサラリーマンではとても無理でしょう。時間的に困難です。牧師の仕事は、そんなに暇ではありません。 他の職業と牧師の仕事が矛盾しないだけではなく、互いに補い合うような仕事、神学校の先生くらいではないでしょうか。大学の聖書科の教授でしょうか。 こういう人が牧師として働いたら、とても良いかも知れません。しかし、それでは、日本基督教団の牧師の数は10分の一以下に減ってしまいます。大学のない地方にはゼロです。都会のある程度の規模を持つ教会なら成り立つかも知れませんが、田舎ではそもそも教会が成り立ちません。結果、田舎の青年が都会教会に転入することもありません。 ★ 諄いかも知れませんが、この機会に申します。そもそも使徒パウロは本当にテント作りをしながら伝道したのでしょうか。私見ながら、それは無理、不可能と考えます。パウロは伝道旅行に明け暮れました。伝道とはいえ、旅行です。当時は飛行機も新幹線もないから、旅費は安いと思ったら大間違いです。 現在東京大阪間は、片道9000円弱で行けます。これを徒歩で行ったら、直線距離で400キロ以上、道路では550キロ以上あります。東海道53次と言います。全部に宿泊しなくとも、半分としても20〜30泊になりますか、つまり、宿賃だけでも、少なく見積もっても一人20〜30万円の資金が要ります。 これをパウロの伝道旅行に当てはめて計算したら、どんな金額になるでしょう。距離も回数も違います。計算した人がいるかも知れません。しかし、計算しなくともわかります。大変な大金が要ります。テント作りをしながらでは、到底不可能です。 ★ 最初の所に話を戻します。パウロは、コリントの人々と、神さまの業を共有したいのです。かつて、いろんなことがあった教会の人々と、しかし、一緒に伝道の業に仕えたいのです。それが、真の回復です。 教会といえども所詮は人間の集まりですから、そこには間違いもあれば、失敗もあります。時には罪を犯します。 →この表現は間違っています。 教会は、間違いもし、失敗もし、時に罪も犯す人間の集まりですから、教会なのです。 これは、アウグゥスチヌスの言葉です。 ★ 最後に9節を読みます。 『あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。 すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。 それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。』 この箇所こそ、普通の日本人には意味をなさない表現でしょう。信仰を持ってでなければ、この言葉を理解することは出来ません。深い深い言葉です。ヒィリピ書を読まなくては理解出来ません。時間がないので、結論だけ言えば十字架のことです。 先週の説教は『神の御心による悲しみ』でした、今週は『神の御心による貧しさ』がふさわしかったかも知れません。それでは多くの人に誤解を与えると思い、そうはしませんでした。しかし、パウロは明確に意識して、この二つ『悲しみ』『貧しさ』を並べていると思います。『悲しみ』『貧しさ』がむしろそれ故に、救い、喜びに繋がるのが信仰です。 |