日本基督教団 玉川平安教会

■2021年3月28日 説教映像

■説教題 「胸を打ちながら
■聖書   ルカによる福音書 23章44〜49節 



◆ 44〜45節に記されていることは、マタイ、マルコ、ルカ、三つの福音書で、ほぼ一致しています。一致しているのは、十字架に架けられたのが、昼の12時、この時、全地は暗くなり、3時まで続いた、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けたという点です。

 46節の、『大声で叫ばれた』も、一致点に加えることが出来ます。

 47節の

 『百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、

  神を賛美した』

 これも、表現は違いますが、事柄は一致しています。

 今日の日課の全体が、他の福音書とほぼ一致していると言っても良いかも知れません。違いは、マタイにはルカが記していないことも記されているという点です。


◆ 先ずは、一致している事柄、出来事と言った方がよろしいでしょうか、ここから読んでまいりたいと思います。

 44節。

 『既に昼の十二時ごろであった』

 分かり易く便宜的に、十字架に架けられたのが、昼の12時と申しましたが、これが十字架に架けられた時間かどうかは、本当には分かりません。

 ルカ福音書で言えば、23章33節、

 『「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。

   犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた』

 この箇所・出来事と、44節の間に時間がどれだけ経っているかは記されていません。

 『イエスを十字架につけた』のが『昼の十二時ごろであった』のか、『イエスを十字架につけた』後、時間が経って『昼の十二時ごろ、全地は暗く』なったのか、判然としません。

 それまでの出来事の経緯を辿って、時間経過を考えたとしても明確な答えはありません。


◆ そんなことは大事なことではないと言う人もありますでしょう。そうかも知れません。しかし、この点が明確ではないということは、些末なことではないと考えます。つまり、三つの福音書が一致して強調しているのは、時間的な経緯ではありません。

 ルカ福音書では、一緒に十字架に架けられた二人の強盗との問答が、記されています。この出来事にどれだけ時間がかかったのか、これも分かりません。

 三つの福音書共に、イエスさまが十字架に架けられたのが何時かという点には、実は、あまり意を用いません。無頓着とは言わないまでも、詳しく正確に記すという気持ちはありません。

 しかし、『既に昼の十二時ごろであった』、この表現は同じです。

 この時から、イエスさまの十字架の死が、最後の重大な局面に入るという点では一致して、描いています。


◆ ちょっと回り道になるかも知れませんが、このことをお考え下さい。

 イエスさまの死因は何でしょうか。十字架、これは死というドラマの大道具むしろ舞台であっても、死因ではありません。

 三つの福音書には、直截、イエスさまに死をもたらしたものが何であるのか、はっきりとは記されていません。

 ヨハネ福音書には、イエスさまの死の直前直後のことが記されています。

 19章28節以下、ちょっと長い引用になります。

 『28:この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、

   「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。

 29:そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、

   このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。

 30:イエスは、このぶどう酒を受けると、

  「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた』

 他の福音書より大分詳しいのですが、しかし、直截の死因は記されていません。

 もう少し引用します。直後の箇所です。

 『兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、

   もう一人の男との足を折った。

 33:イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。

 34:しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た』

 矢張り、直截の死因は記されていません。             


◆ 死因について、衰弱死説があります。これは多くの十字架刑に当て嵌まります。直截槍で突いたり、刀で刺したりはしません。ですから、絶命するまでには、かなりの時間がかかります。ローマの兵士たちが、十字架の下でサイコロを振り、博打を始めるのはそのためだと考えられます。退屈しのぎです。強盗の罪で死刑になる程の人には、並の人間よりも体力のある人が多かったでしょう。そうしますと、三日三晩も、十字架の上で喚いたり、罵ったりします。

 ひと思いに殺さないことが、処刑、最も残酷な刑罰なのです。

 これを見張るのは、楽な仕事ではありません。だから、博打で気持ちを紛らし、時間を潰します。

 しかし、イエスさまは意外にも短時間で息を引き取りました。それは兵士たちにとって、意外だったようです。そのような表現が目立ちます。


◆ 出血死説があります。処刑される人の両掌、両足の甲に釘が打たれます。この4本の釘だけで体重を支えます。その痛みたるや、想像を超えます。その傷口から、少しずつ、血が流れるでしょう。時間を掛けて血が流れ、やがて死を迎える、これも残酷極まる処刑方法です。

 これと、絶望死説が重なります。マルコ福音書15章34節。

 『34:三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」

  これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。』

 確かに絶望の声と聞こえます。しかし、ルカ福音書の46節には、この言葉はありません。

 覚悟がなかったのなら、苦痛に耐えられずに、絶望もするでしょう。しかし、自ら十字架への道を歩まれたイエスさまが、絶望するなどあり得ません。

 また、釘が傷を塞いでいるので、出血は殆どないと言う人もあります。


◆ 衰弱死説、出血死説まして絶望死説、間違いです。違います。

 イエスさまの十字架は、犠牲死です。十字架は、神に捧げられた生け贄です。生け贄と言うと響きが悪いのですが、旧約聖書の祭儀では、礼拝として犠牲が捧げられます。その斎場の捧げ物、他のものでは果たし得なかった罪の贖いの供え物、他の何物よりも尊い捧げ物が、イエスさまご自身です。

 ですから、イエスさまが息を引き取られた時に、神殿の聖所の幕が真っ二つに裂け落ちたし、太陽が光を失ったのです。


◆ そもそも、垂れ幕が裂けたことを、ゴルゴダにいた人がどうして知り得たのでしょう。知り得る筈がありません。にも拘わらず、三つの福音書が一致して、神殿の聖所の垂れ幕が、裂けたと記しています。そこには、このような意味があります。

 つまり、聖所とは、至高の捧げ物がなされる場所です。俗世間とは切り離された聖なる場所です。聖所と俗世間とを切り離すが、分け隔てるのが、聖所の垂れ幕です。

 イエスさまが命を捧げられた瞬間、この聖所の垂れ幕が、二つに裂け落ちました。つまり、隔てるものがなくなりました。聖所は俗世間の一部になりました。逆に、イエスさまが捧げられたゴルゴダの刑場が、聖所となりました。


◆ 太陽が光を失ったと言うことにも、勿論大きな意味があります。太陽が光を失った、日食を想い浮かべます。この当時の人々も日食を知っていました。嵐の前にも、太陽が隠れ、闇が地上を覆うことがあります。この地方には、イナゴの大群が空を覆い尽くすこともあります。ですから、ゴルゴダの丘の人々は、少しも慌てたり、恐れたりしないのでしょうか。

 それはあまりにも不自然です。人々が狼狽えるのがむしろ自然でしょう。しかし、『太陽は光を失っていた』とは記されていますが、人々はそのことを何も気にしていないようです。あまりにも不自然です。


◆ イエスさまの死は、この世界から光が奪われたという出来事です。空が一時的に暗くなったことよりも、遙かに大事件です。しかし、人々は何とも感じないのです。それ程、不信仰だからです。イエスさまの十字架を理解していないからです。そもそもイエスさまの存在という、神が地上に与えられた光が、見えていなかったのです。ですから、今、光が奪われたことにも気付きません。

 今日と同じです。カーニバルでは、あれ程大騒ぎをするのに、イースターではお祝いをするのに、肝心な十字架にはとんと無関心です。それは、光そのものが見えていないからです。光が見えなければ闇は見えません。闇が見えなければ光は見えません。

 ややもすれば、教会でさえそうなっています。


◆ 46節。

 『イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」

   こう言って息を引き取られた』

 これは、イエスさまが、自らを犠牲として捧げる儀式を、自ら大祭司として執り行われた出来事です。殺人事件ではありません。ですから、直接の犯行者は誰もいません。


47節。

 『百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って』

 『百人隊長は』一体何を見て、或は何を聞いて、「まことに、この人は神の子であった」と言ったのでしょうか。

 百卒長が直接に目撃した可能性が高いのは、15章22節から後の出来事です。拡げれば、15章1節から可能性がありますし、それ以前の出来事も考慮に入るかも知れません。しかし、『この出来事を見て』という表現に拘るならば、十字架の場面ということになります。ここに、『本当に、この人は正しい人だった』と言わしめるような何事があったのでしょうか。特定することは困難です。

 それは47節の末尾を読まなくてはなりません。

 『百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」

   と言って、神を賛美した』

 『神を賛美した』とあります。

 同情したでも義憤を感じたでも、悲しんだでもありません。『神を賛美した』のです。

 それは、この出来事が、義式だからです。礼拝だからです。


◆ 48節。

 『見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った』

 『群衆も皆』、マルコ福音書では、『群衆』即ちオクロス即ち、衆愚という意味合いで用いられます。マルコ福音書ではありませんから、この『群衆』という言葉に、過重な意味を持たせることは出来ないでしょう。しかし、この人々が、時にはイエスさまに関心を持ち群がり、様々な奇跡を見て驚き、様々な教えを聞いて感動し、しかし、肝心な時には、イエスさまを退け、『バラバを』と叫びイエスさまを『十字架に付けよ』と叫んだ群衆には違いありません。

 今も、『見物に集まっていた』のです。最後のお言葉を聞くために集まっていたのではありません。まして、救い出そうとしていたのではありません。『見物に集まっていた』のです。


◆ しかし、結果、彼らは、神の独り子を犠牲として捧げる義式に、礼拝に立ち会ったのです。

 『これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った』

 繰り返しますが、『見物に集まっていた』のです。イエスさまの最後のお言葉を聞くために集まっていたのではありません。まして、救い出そうとしていたのではありません。しかし、神の独り子を犠牲として捧げる義式に、礼拝に立ち会ったのです。

 それは、『胸を打ちながら帰って行った』と言う程の、感動を与えました。彼らの心は揺り動かされました。義式だから、礼拝だから、この感動が生まれました。

 

◆ 49節。

 『イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、

   これらのことを見ていた』

 誰が十字架の証言者か、誰がこの犠牲の目撃者か、それ以上に、この礼拝の参列者か、このように問われています。

 私たちもイエスさまの十字架に関心を持ちます。『イエスを知っていたすべての人たち』に該当しますでしょう。長く礼拝を守り続けて来た人は『ガリラヤから従って来た』に当て嵌まりますでしょう。もしかしたら『遠くに立って、これらのことを見ていた』にも重なるかも知れません。

 婦人たちは、禁じられているからやむなく『遠くに立って』いたのかも知れません。しかし、私たちは、遠くに立っていてはなりません。

 クレネ人シモンなど、いろいろな人、強盗までもが、この十字架の出来事の登場人物にされ、目撃者にされました。しかし、実は彼らは招かれて、呼び出されてここにいたのです。


◆ 私たちは、この礼拝の出席者として、ここにいます。私たちもまた、招かれて、呼び出されてここにいるのです。この図式は、クリスマスと同じです。羊飼いも博士たちも、招かれて、呼び出されてクリスマス礼拝の参加者となりました。

 私たちも、クリスマスと同様に、同様の自覚、喜び、感謝をもって、この礼拝に与りたいと思います。