◆ 今日の箇所では、驢馬が大きい役割を果たしています。28〜36節は、分量の関係で省略し、朗読していませんが、先ず、驢馬とは聖書的に見てどんな意味を持つ動物なのか、何故に、イエスさまのエルサレム入城という、重大な場面に登場するのかを、調べてみたいと思います。 ◆ 驢馬はあらゆる動物の中で、最も早く家畜化されたそうです。カナン地方でも驢馬はとても身近なものでした。ソロモン王によって馬が輸入されたのは紀元前10世紀です。驢馬はそれよりずっと以前から、農耕・運搬用に飼われていました。馬が珍しくなくなってからも、急峻な坂道に強いこと、粗食で働くなどの長所から、用いられ続けていました。 驢馬は決して食肉になることはありませんし、祭儀の犠牲にされることもありません。また、安息日の恩恵の対象に数えられていて、虐待を禁じられています。何よりも、以上のことが律法に記されているその一事から、特別な家畜であることが解ります。 ◆ 列王紀上1章の33節以下に、騾馬が出て来ます。少し長い引用になります。 『王は言った。「お前たちは主君の家臣を率いて、わが子ソロモンをわたしのらばに乗せ、ギホンに下らせよ。 34祭司ツァドクと預言者ナタンは、そこでソロモンに油を注いで、 イスラエルの上に立つ王とせよ。角笛を吹いて『ソロモン王、万歳』と叫び、 35彼の後に従って上れ。ソロモンは来て、わたしの王座につく。 わたしに代わって王となるのは彼であり、 イスラエルとユダの上に立つ君主になるようわたしは彼に命じる。」』 ルカ19章との関連が読み取れます。イエスさまのエルサレム入城、棕櫚の主日の原点はここにあると言って差し支えないでしょう。 ◆ 聖書の言葉では、騾馬と驢馬が厳密に使い分けられていません。律法が異種の動物を掛け合わせて子を生ませることを禁じていますので、建前上は、ユダヤには騾馬はいないという理由からかも知れません。 それはともかく、ここで騾馬は、王として即位するソロモンを乗せるという、興味深い役割を演じています。王位を簒奪しようとするアドニヤとの対立、その周囲の人物というところにも、イエスさまのエルサレム入城との類似性が見られます。 特に、「祭司ザドクは幕屋から油の角を取ってきて、ソロモンに油を注いだ。そして、ラッパを吹き鳴らし、民はみな彼に従って上り、笛を吹いて大いに喜び祝った。地は彼らの声で裂けるばかりだった。…列王紀上1章39・40節」という末尾の表現は、とても偶然の一致ではありません。 ◆ ルカ福音書が、この類似性をはっきりと意識しているとすれば、二つの物語の背景にある事柄、主題も一致していると見るほうが自然でしょう。 それはつまり、王位とは武力によって奪い取るものではなく、民衆の支持がなくてはならない、何よりもそこに神さまの御旨が働かなくてはならないということです。このことは、これ以上詳しく説明するよりも、列王紀を読んでいただいた方が解り易いと思います。 ◆ もう一箇所旧約聖書を参照します。ゼカリヤ書9章9節がそうです。 『シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。 見よ、あなたの王はあなたの所に来る。 彼は、義なる者であって勝利を得、柔和であって驢馬に乗る。 すなわち、驢馬の子である子馬に乗る。』 ここでも、王として即位する者が、つまり勝利者が、驢馬に乗って登場し、しかも、武力を用いないと明言されています。この箇所についてはあまりにも明快な主題ですので、特に解説する必要はないでしょう。 ◆ 今度は新約聖書から、それもルカそのものから、驢馬への言及が見られる箇所を取り上げます。2章8〜20節、あの羊飼いたちに天使が現れ、キリストの誕生を知らせる物語です。 あの話に驢馬が登場したかしらと、訝る方もおられるかと思います。実は《飼い葉桶》がそうです。《飼い葉桶》は、聖書を通じてたった4回しか出て来ない言葉です。そのうち、3回はルカのクリスマスの所で、残る一回がヨブ記ですが、これははっきりと驢馬の《飼い葉桶》ですし、他に、《飼い葉》という語が7回出てきますが、いずれも驢馬であるか、あるいは家畜を特定していません。まあ、もし驢馬ではないとしても、これから申し上げることの中身は変わりません。 ◆ この物語でも、強調点は今まで引用したものと共通しています。つまり、王は神の御旨によって選ばれ、民衆のためにこそ与えられ、その支持を受けます。彼は武力を持ちません。平和の王です。特に、14節には「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上ではみ心にかなう人々に平和があるように。」と、天の軍勢が歌う讚美歌が記されていますが、これは、今日の箇所の38節と直結すると思います。 ◆ これだけの根拠でも充分です。ルカ福音書は、クリスマスの出来事と、今日の出来事とを完全に重ね合わせて描いています。クリスマスは、王の誕生であり、エルサレム入城は王の即位です。その両方で、「王は神の御旨によって選ばれ、民衆のためにこそ与えられ、その支持を受ける。彼は武力を持たない、平和の王である。」ことが強調されているのです。 そして、彼の王としての冠が、事業が、十字架です。 ◆ 今日の箇所について、若干の説明を付け加えます。19節20節を見ますと、驢馬に乗ることが、まるであらかじめ手配されていたかのような印象があります。この驢馬そしてオリブ山のゲッセマネつまり油絞りの園、更に、最後の晩餐の行われた部屋は、いづれもマルコの父の持ち物であるという説があるくらいです。まあそうでなくても、この19〜20節によって、驢馬に乗ってのエルサレム入城が、たまたま起こったのではないということが、執拗なまでに強調されています。 このことは、また、十字架の出来事の全体が、偶発的なものではないということの強調にもつながります。 ◆「誰も乗ったことのない驢馬」とは、驢馬の清いこと、言うならば処女性を表現しているとも取れますが、むしろ、まだ小さいと言っているのだと思います。「大男の大酒飲み」と悪口を言われたことのある、もしかしたら2メートル近い身長だったかも知れないイエスさまが乗ったら、あまり、かっこいいとは言えません。そういう様子を表していると考えられます。 驢馬の上や道路に上着を敷いたこともそうです。これは、明らかに、歴代のローマの将軍たちが戦争に勝ち、凱旋して来る時の華やかな様子と、対照的に描かれています。 ◆ ローマの将軍たちは、馬や戦車に乗り、お金や花びらを撒き散らかしながら、凱旋門を潜ります。貧しい人々は狂喜してそれを迎えるのですが、捕虜として連行される諸外国の貧しい民の姿が、明日の自分の姿だということに気が付きません。 ややもすれば、将軍たちが凱旋してくるその沿道には、お尻の穴から口に抜けて串刺しにされるという、想像するのもおぞましい姿で十字架に付けられた人々の死体が、何キロも並んだと言われます。 ◆ 旧約時代のアッスリヤの軍隊などは、女も子供も容赦しません。平和な村里のあった谷が、アッスリヤ軍の通った後は、死体で埋め尽くされたと言います。苛酷な暴君と、悪魔のようなその軍隊と言えば、同時代の中国の歴史では珍しくもありません。『史記』でも『三国史』でも、いかに優れた文学作品とは言え、正視に耐えないような場面が無数に出てまいります。 これは、もう少し時代が下ったヨーロッパの王や騎士の物語でも同じで、王・英雄が登場し活躍する、即ちおびただしい流血と断定して間違いありません。 ◆ 日本も例外である筈はありません。 また、何百年も前のことではありません。つい半世紀ほど前の暴君たちが何をしたか。否、英雄と救世主と呼ばれていた者が、どんなにむごく、血の犠牲を強いていたか、明らかになりつつあります。世界中で偶像が引きづり倒されています。その一方で、偶像を倒すためには血の犠牲もやむえないと言って、民衆や学生に武器を手にすることを勧めているものが、新しい時代の英雄として、王として、偶像として、立てられようとしています。 ◆ その中で、イエスさまの王としての即位は、全く異質なものです。平和と無力の象徴である驢馬に乗り、軍勢を従えることもありません。だからこそ、逆に民衆の犠牲を要求することはありませんし、民衆の血を流すのではなく、自分自身の血を流すのです。 このことはあらゆる機会に繰り返し申し上げますが、十字架の傍らでイエスさまを嘲笑するものが言います。 『彼は他人を救った。もし彼が神のキリスト、選ばれた者であるなら、 自分自身を救いなさい。』 ルカ福音書ではこうです。他の福音書でも根本に違いはありません。我々の信じ頼みとするキリストは、正に、この者が言うとおりの方です。 『自分自身を救』うことをせず、『他人を救った』のが、私たちが信じ従うイエス・キリストです。 ◆ 39節で、パリサイ人は、おこがましくも、イエスさまを諌めます。民衆がユダヤ教の公式の認定を待たずに、勝手にイエスをキリストとして迎え入れたのは、僭越的な行為であり、冒涜的な行為であるという理屈です。そして更に、今の政治的状況下で、新しい王を迎え入れることは、即ちローマ帝国に対する反逆と受け止められ、これを口実にして、時のユダヤの為政者に対してどんな迫害が起こるかも知れないという危惧します。 40節のイエスさまの返答は、民衆の声こそ正しいものである、王は民衆によって迎え入れられてこそ、本当の王であるということ、そして、ユダヤ教の議会といった政治的な機関に、キリストを認定する権限も能力もないということです。 ◆ 当時のユダヤは、政権を巡って、数多くの党派に分かれ、争っていましたし、また、その微妙な妥協・折衷の上に政治が成り立っていました。勿論、政策についてもそうです。 ローマに迎合して何とか国を保とうとするヘロデ党から、ローマに対する徹底武力抗戦派まで、様々です。 しかし、彼らに共通することは、政治的・軍事的・経済的な関心に終始していて、信仰の問題が、おろそかになってしまったということです。では、イエスさまをキリストとして熱狂的に迎えた民衆が、その信仰を保ち続けていたのかと申しますと、甚だ怪しいものです。民衆こそ、政治的・経済的な期待をもって、キリストを迎えたと考えられます。 勿論、パリサイから分かれて過激化した熱心党=ゼーロータイ、更にもっと過激な暗殺教団の存在はありましたが、彼らの存在が、先に旧約聖書またルカによる福音書のクリスマス記事から見た、平和の王・キリストから、いかに掛け離れたものであったかは、言うまでもありません。そこには、本当の意味での、神に対する信頼、ユダヤの歴史と共に歩まれる神への信頼は、もはや、存在しませんでした。だからこそ、己が手によって、ローマを追放し独立を勝ち取るという過激な方策が生まれるのです。 彼らこそ、ユダヤを滅亡に追いやった張本人です。41〜42節。 『エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、 42:言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。 しかし今は、それがお前には見えない。』 彼らは、平和への道を知らないのです。彼らには、平和への道が見えません。 ◆ 地上の王や軍隊が人を救うことは決してありません。神殿やそこで行われる祭儀、組織としての教団が救いの印になることもありません。 王も城も軍隊も武器も麗々しく着飾った祭司も、ぎょうぎょうしい祭儀も、とにかく、目に見える形をもって、私たちの所にやってくるものは、皆、救いの頼みにはなりません。ちっぽけなもの、むしろ目には見えないもの、人の心の中で起こる悔い改め・信仰そして、これも目には見えない、形にはならない神の愛だけが、私たちの救いの根拠になります。 ◆ 十字架でさえ、それは決して棒や杭のことを言うのではありませんから、私たちの目には見えないものです。しかし、目には見えないクリスマスの星を頼りに、信仰の旅路を歩んで来た私たちは、目には見えない十字架を見上げることで、それをイエスさまと一緒に背負うことで、この旅を全うしたいと思います。復活のイエスさまの生命に与かりたいと思います。 |