◆ 2年前に、ヨハネ福音書にある並行記事を読んでいます。どうしても話が重なってしまいますが、重なる所は、1番大事な所ですから、遠慮せずに、先ずは同じような話をします。 ◆ 26節。 『人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、 十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。』 マタイ福音書も、マルコ福音書も、ほぼほぼ同じ文章で、この場面を描いています。 ところが、ヨハネ福音書では、大分様子が違います。 19章7節。 『イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、 すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。』 『シモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ』、この部分がありません。 ◆ ルカ、マタイ、マルコでは、少しずつ違いがありますが、肝心な点『シモンというキレネ人が』イエスさまの十字架を背負ったことは、全く共通しています。微妙な違いがありますが、概ね一致しています。 ところが、ヨハネ福音書では、『自ら十字架を背負い』と記されています。『十字架を背負』ったのは誰か、大きな違いがあります。 ◆ どうして、四つの福音書で、このような違いが出てしまうのでしょうか。他の点でも、十字架の出来事を読み重ねますと、もっともっと、違いが大きくなります。 誰が考えても、十字架の出来事は福音書のクライマックスです。一番大事な場面です。それなのに、証言が食い違うのです。 これだから聖書なんて当てにならない、嘘っぱちだと、聖書そのものを否定する人がいます。聖書は正確さに欠ける、矛盾や不整合がある、歴史的事実ではないからだ、いろんな批判があります。極端には、十字架の出来事そのものが無かったと考える人がいますし、イエスさまが存在しなかったと主張する人さえもいます。 しかし、四つの証言の食い違い、私は、むしろここに信憑性を感じます。同じ現場であっても、そこに居合わせた4人の証言がぴったりと重ならないのは、むしろ、当然です。 ぴったりと重なったら、それはおかしい、何か脚本のようなものが出来ているのです。筋書き通りの証言は、おそらく偽証なのです。 ◆ 4人の福音書記者の証言に微妙な、或いは、小さいとは言えない程の食い違いがあることは、むしろ、この出来事の信憑性を裏付けるものだと、私は考えます。 そもそも、福音書を記した記者には、或いは、その元となった伝承を持っていた人々には、今日の新聞報道的な関心はありません。詳細に至るまで記憶し記録し、伝えるなどという気持ちは初めからありません。もし、そういう関心があったのならば、証言を付き合わせて、調整し、少しずつ書き換えることなど簡単なことです。 少なくとも、聖書が今日の形に編集される段階で、それは充分可能だった筈です。それをしなかったのは、そのような関心が初めからないからです。互いに矛盾の無いように、整合性を付ける、そのために加筆訂正するというような気持ちは、初めから全く持っていません。 ◆ 福音書記者が伝えたのは、伝えたかったのは、事実の報道ではなく、彼らの感動であり、彼らの信仰なのです。 違いに目をやるよりも、共通していることにこそ、目を向けるべきです。そのために、回り道ですが、もう一箇所、違いをはっきりさせたいと思います。 マタイ福音書27章32節。 『兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったの で、イエスの十字架を無理に担がせた』 マルコ福音書では、15章21節になります。 『そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、 田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた』 マタイの方が短かく、まるでマルコの方が、シモンという人に注釈を付けたようになっています。執筆の時代が早い筈の、マルコの方が長く、まるでマタイに書き加えられたかのようなのです。多分、両者に共通の資料があって、マタイはその資料のままに記し、マルコは注釈を書き加えたということでしょう。 ◆ 更に言えば、『アレクサンドロとルフォスとの父でシモン』という表現が意味を持つ、つまり、『アレクサンドロとルフォス』は、初代教会の時代に多くの人に知られていたということになります。もしかすると、マルコの教会では重要な人物で、マタイの教会ではさほどでも無かったということでしょうか。まあ、これは内容的には、大した違いではありません。 ところが、ヨハネ福音書を見ますと、19章17節、 『イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、 すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。』 大きな違いを見せます。マタイ、マルコではシモンが背負ったとあり、ヨハネではイエス様が背負ったと書かれているのです。既に申しましたように、聖書は歴史的に信憑性が薄いという批判に曝されています。 これを、観察した時間の違いだと説明する説があります。最初はヨハネの書いた通り、暫く経ってからは、マタイ・マルコの書いた通りということです。しかし、それは姑息な説明です。 主の十字架という最重要な場面で、大きな食い違いがあるのはどうにも合点が行きません。 ◆ しかし、主題が何かという観点で読めば、何も矛盾はありません。 ルカはこう言っています。 私たち弟子が担うべきであったあの十字架を担ったのは、弟子の一人ではなく、通りすがりの人物、何の関係もないキレネ人であった。私たちは、既に逃げていたから、十字架を担うことが出来なかった。キレネ人シモンが背負ったということに力点が置かれているのではありません。自分が担えなかったという告白に力点が置かれているのです。 マルコもマタイも同様です。自分が担えなかったという罪意識を、このように証言・告白しているのです。 ◆ 一方、ヨハネはこのように言っています。 私たち弟子が担うべきであったあの十字架を担ったのは、鞭打たれ疲れ果てていたイエスさまご自身であった。私たちは、主の十字架を担うことが出来なかった。このように証言・告白しているのです。 実は、当時の法律では、受刑者自らが、十字架を担うことが当たり前です。他の者が担うことはありません。にも拘わらず、マタイ、マルコ、ルカは、キレネ人シモンが背負ったと、道理に合わない、常識に合わないことを言ってまで、自分は十字架を担うことが出来なかったと強調しているのであり、ヨハネはあまりに当たり前のことなのにわざわざ『イエスは、自ら十字架を背負い』と、自分は十字架を担うことが出来なかったと強調しているのです。 表面真反対に見える描写です。しかし、両者の証言・告白に、矛盾はありません。実は、全く同じ強調なのです。 ◆ 他の福音書との比較は、ここに留めまして、もう少し、ルカ福音書そのものを読みたいと思います。26節。 『人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて』 『キレネ』とは、今日のリビア東部、エジプトに近い場所を指します。『キレネ人』と言いますとキレネという民族のように聞こえますが、名前の『シモン』からしても、ユダヤ人であって、キレネに住んでいたものでしょう。『田舎から出て来た』という表現は良く分かりません。キレネが田舎と考えられていたのでしょうか。それとも、元々キレネ出身だけれども、この時点ではエルサレムの郊外・田舎にいたのでしょうか。分かりません。 マルコ福音書の『アレクサンドロとルフォスとの父』という説明を見ますと、この兄弟は初代教会では良く知られた人物なのかも知れません。その父が、イエスさまの十字架を担ったとなりますと、そのことに特別の意味があると解釈されてしまうでしょう。 しかし、ルカにはこの説明はありません。一方、『田舎から出て来た』は共通しています。 ◆ マルコでもルカでも『田舎から出て来た』とは、たまたまエルサレムの都に来ていた。単に通り過ぎる人、通行人にも等しいと言っているのだと考えます。 『捕まえて』という表現も同様です。近くにいたから、行き当たりばったりで、シモンに押しつけられた、たの誰でも良かったと言うことではないでしょうか。これも、通行人にも等しいシモンではなくて、この私が担うべきだったのにと、罪を告白しているのでしょう。 ◆『十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた』 これはルカ固有の表現です。ここにも特別の気持ちが込められていると思います。イエスさまが先で、その後から十字架を背負った者が続きます。 私たち信仰者は、それぞれの十字架を背負いながら、イエスさまの後に従います。これが十字架へと向かう、本来の道筋です。 この頃は、同行者とか、寄り添うとか、担われるとかと、イエスさまと、人間とが、同じ道を一緒に歩くという面ばかりが強調されます。それではイエスさまは、私たちの人生の連れ合いなのでしょうか。 本来の道筋は、私たち信仰者は、それぞれの十字架を背負いながら、イエスさまの後に従うのだと、私は考えます。そもそも同行も、同じ道を歩むというのが強調点であって、一緒に歩むということではありません。日本語の話ですが。私たちはイエスさまの歩いた道を歩きます。2000年経っても変わりません。この2000年間の信仰者と同じ道を歩きます。ならず氏も、一緒にではなくとも、同じ道を歩きます。それが本来の同行者だと考えます。正しくは仏教用語で同行(どうぎょう)です。必ずしも、一緒のツアー客という意味ではありません。 ◆ 27節。 『民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った』 これもルカにだけあります。他の福音書にはありません。 『十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた』そして『民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った』、これがセットです。 流石に使徒言行録を著したルカだと思います。イエスさまの十字架、これに従う人々の群れ、ルカはこの点に関心が強いし、強調したいのでしょう。 私たち現代の信仰者も、『大きな群れを成して、イエスに従っ』ているのです。 ◆ 28節。 『イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた』 ちょっと場面を想像していただきたいと思います。絵に描こうと思ったら、困ってしまいます。 先頭にはイエスさま、その後に、クレネ人シモン、その後ろに民衆と女たち、イエスさま、シモンの周囲には当然警護のローマ兵がいたでしょう。『イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた』、振り向いても見えますかどうか。婦人たちに聞こえますかどうか。 ちょっと無理な構図です。 この図式は、22章61節と共通しています。 『主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、 あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。 62:そして外に出て、激しく泣いた』 この箇所も、絵にはなりません。つじつまが合わなくなります。 しかし、ルカは無理を押してもこのように描くのです。それが、ルカの信仰だからです。 ◆ イエスさまは、私たちを振り返ります。十字架を背負って続く人々を振り返ります。 振り返ったイエスさまは何とおっしゃったか。 28節以下は正直なところ、省略したい気がします。この箇所の主題から外れる気がしますし、何だか、あまり聞きたくない言葉に聞こえるからです。 これも、他の福音書にはありません。しかし、ルカは記録しています。 ですから目を背けることもなりません。28節以下は、要するに、十字架を背負って続く人々は、これから、大きな災いに遭遇するということです。これが、ルカの教会の現実です。イエスさまを信じて、十字架を背負って続く人々に待っているのは、大きな試練です。ルカの時代は正にそのような時代でした。キリスト者に組織的な迫害・弾圧が迫ります。ルカ自身も、十字架に架けられ殉教したと思われます。 ◆ 私たちだって同様です。イエスさまを信じて、十字架を背負って続く道は、イエスさまによって守られた、平坦で歩きやすい道ではありません。様々な試練が私たちを襲います。歩き続けられなくなり、立ち止まり、或いは跪きます。辛い旅路です。 しかしそのような私たちを、イエスさまは、振り返るのです。 |