★2章1節の前半だけ読みます。 『イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。』 今日は、ここを中心に読みたいと思います。それだけで、25分では足りないくらいです。 『ヘロデ王の時代に』、1章の1節から、イエスさまの系図が記されています。この系図は不思議な系図で、およそ、普通の系図からはかけ離れたものでした。前々回読んだ所ですので繰り返しはしません。今日肝心なことは、この系図には、ヘロデは載っていないという点です。 ★その不思議を解くために、2〜3節を読みます。 『「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。 わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 3:これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。』 何故ヘロデ大王が不安に駆られたのか、約めて申します。ヘロデ大王は本来、ユダヤ人ではありません。イドマヤ人であったのに、ローマがイスラエルを含めたシリア地方の統治をする都合によって、イドマヤがイスラエルと同じ州・国に組み入れられました。 また、一部族長のしかも跡継ぎでさえなかった者が、戦乱の中で台頭し、ついにローマ皇帝によってユダヤの王という称号と領地を得ました。勿論、ユダヤ民衆の賛同はありません。 ために、彼の地位は絶えず脅かされ、不安定なものでした。晩年疑心暗鬼に捕らわれたヘロデは、周囲にある者、その妻や息子までもが信じられなくなり、王位を窺う可能性のある者を次々と粛正したと言われます。これは歴史的事実です。旗下の将軍たちや、果ては夫人も子どもも殺されました。 ★ヘロデについては、異常な伝承があります。彼は、自分が死ぬ時には、捉えておいたユダヤ人の、特に美しい顔かたちをした男の子100人、女の子100人の首をはねよと遺言したと言うのです。エルサレム市民は、ヘロデが死んでも誰一人悲しむ者はいない、むしろ喜び祝うだろう、ならば、200人の子どもを殺して、無理矢理に涙を流させてやろうという魂胆です。 流石に、これが史実とは信じがたいのですが、しかし、そんな伝説が生まれるほどに、ヘロデが忌み嫌われていたことは事実のようです。 つまり、氏素性も知れないような東方の博士が告げた、怪しげな預言にも脅えるような現実が、歴史的にも存在したのです。 そうなりますと、エルサレムの市民が不安を感じたというのも、頷けます。また争いが起こるかも知れない。人が逮捕されたり殺されたりという事態になるかも知れない。それは、エルサレムの市民にとって、現実的な脅威だったのです。 ★実際、2章16節以下を見ますと、ベツレヘム周辺で生まれた2歳以下の男の子が皆殺しにされるという凄惨な記事があります。このことについては、再来週の説教で取り上げます。 これが、『ヘロデ王の時代に』という表現の意味です。 ★『ユダヤのベツレヘムでお生まれになった』 ルカ福音書も、ベツレヘムで生まれたと記しています。何故ベツレヘムなのか、ベツレヘムでなければならないのか。これが不思議です。 特にルカ福音書に記されていることは、なかなか納得が行きません。身重の者が、何故困難な旅をして、ベツレヘムに向かわなければならなかったのか。ルカは人口調査のためと記していますが、ローマの公式文書では、そのような事実はないそうです。この当時は今日のようなホテル旅館などありません。親戚縁者を頼って旅するのが普通です。それなのに、何故出身地に、泊めてくれる心当たりがなかったのでしょう。なかったのなら、旅する意味もありません。時間が足りなくなりますので、いちいち申しませんが、他にも、不可解な描写があります。 やはり、どうしてもベツレヘムでなければならない理由があったのです。 ★その理由は、マタイ2章5〜6節に述べられています。 『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいものではない。 お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』 ミカの預言からの引用です。 ルカ福音書では、ベツレヘムを『ダビデの町』と表現しています。 ★このことと、ヘロデの出自とを比べてみれば、ベツレヘムに生まれたということの意味が分かります。イエスさまはダビデの家系に繋がる存在です。このダビデには、ダビデの子孫が、歴代イスラエルの王となるという預言が与えられています。つまり、イエスさまはイスラエルの正統な王であり、ヘロデにはその資格がないということです。 1章の系図とも重なります。先々週は省略しましたが、このことも、普通の読者には無味乾燥なものとしか映らない系図、人の名前の羅列が記されている理由です。 ★ところで、ミカは言いました。 『ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。』 ミカは、ダビデ王よりは、数百年も後の人です。この預言は、ダビデの誕生・即位を預言するものではありません。 ミカの時代より後に、ダビデの後継者たる真のイスラエル王が誕生・即位するという預言です。ならば、ベツレヘムよりもふさわしい町があります。ダビデが築いたエルサレムの都です。ダビデの子孫は、殆どが、このエルサレムの都に暮らしているのではないでしょうか。 新しい王が、都に生まれるのは当たり前です。それ以外の地に誕生したら、世の混乱の原因になります。 ★ここで、どうしても預言者ミカについてお話ししなければなりません。聖書研究祈祷会でも読みましたので、細かいことは省略します。 ミカの預言には、二つの大きな特徴があります。 一つは、軍備拡張の否定です。アッシリアという国家が、突然として現れました。元々は小さな国だったのですが、鉄を安く大量に生産する技術を得たことが、この国を強大なものにしました。勿論、鉄そのものに経済価値があります。この鉄によって、剣や槍のような武器が性能を増しました。青銅とは大違いです。更に、このふんだんな鉄で、鎧を持ち、馬や馬車も鉄で装甲しました。戦車です。この時代では、圧倒的な武器でした。 この軍事力で、アッシリアはたちまち世界を席巻しました。 ★このアッシリアに対抗するために、合従連衡が模索され、政治的な党派が生まれ、世は騒然としました。アッシリアに負けない軍備を整えることが、何よりも優先し、他のことは犠牲にされました。人々が飢えても、軍備拡張が続けられます。 現代にもこんな国があります。 ミカは預言します。果てしもない軍拡競争は、世界を滅ぼすだろうと。 これが、今から2800年も前の預言です。預言とはこういうことを言います。何年何月悪の大王が現れて云々などと言うのは、預言ではありません。ただの戯言です。 ★鉄を得るためには、資金が必要です。ために、換金作物を作ることが、日常の食料を生産することにさえ優先します。特に葡萄の栽培が行われました。葡萄酒にすれば蓄えられますし、輸出できます。もっとも優れた換金作物です。 折しも、農業技術が進歩し、これまで葡萄栽培が困難だった土地でも、作れるようになりました。その結果、一部の富豪による土地の寡占が進みます。 土地の寡占の仕組みはこうです。 戦争・軍備拡張に当てるために、税金が高くなります。自分たちが食べるのにやっとだった農民も税金を払わなくてはなりません。現金が必要になります。 お金を貸してくれるお金持ちは、利息を取ります。 やがて、貧しい農民は、利息さえ払えなくなり、土地を奪われ、離散します。 ★今お話ししたようなことは、かつて日本でも起こりました。戦国時代です。親切ごかしで、金を貸し、利息で追い込み、結局土地を奪ったのは、地主階級です。そして、これに加担したのがお寺です。 多分、ユダヤ教でも同じことだったのでしょう。中世のヨーロッパでも、同じようなことが行われました。貴族や教会が、貧しい農民から、土地を簒奪していったのです。 さて、離散した農民は、エルサレムの都に向かいます。他に、仕事や食べ物が得られる所はありません。エルサレムの都は、難民で溢れました。ミカの時代には、10万人でしょうか。もう少し多かったかも知れません。 イエスさまの時代、つまり、ヘロデの時代には50万人に膨れ上がったと言う人もいます。ちょっと多すぎるかも知れませんが、その通りかも知れません。 エルサレムは城郭都市です。壁が町を囲い込んでいます。その中に住む適正な人数は3万だったと言われます。そこに、10万から50万人もが押し寄せたのです。 多くの難民は、エルサレム市内に住むことは出来ず、その周辺に小屋を建てたり、テントを張ったりして暮らしていました。正に難民キャンプです。 ★ミカは、これに警告しました。人が田畑を捨て、都会に集中するならば、国は滅びるだろうと。この預言は、現代にこそぴったりと当て嵌まります。 これが、今から2800年も前の預言です。 今お話ししたことが全て、ベツレヘムにキリストが誕生すると言うことの意味です。 キリストは、ヘロデの町には生まれません。王が住む都・エルサレムには誕生しません。 ついでに言えば、ルカ福音書・使徒信条の『乙女マリヤより生まれ』も、同じことです。キリストは、村娘に過ぎない少女から生まれました。普通に考えれば、新しい王の母となるのは、女王か王女か、貴族の娘、或いは有力な軍人の娘か、富豪の娘でしょう。 マリヤは、そのどれにも該当しません。ただの村娘です。 ですから、『乙女マリヤ』を必要以上に美化し、まして信仰の対象とするのは、ミカやイザヤや、マタイやルカの福音の趣旨に背くことです。 ★ベツレヘムは、ヘロデの時代には片田舎となっていました。 だからこそ、『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。』 このように描写されています。小さい村だったのです。取るに足りない村だったのです。しかし、そこは間違いなくダビデの町でした。 ベツレヘムという地名には、片田舎という意味と、ダビデの町という両方の意味が込められています。単にダビデの町ということなら、ダビデが造ったエルサレムこそがふさわしい筈です。片田舎なら無数にあります。ダビデの町でかつ田舎、それがベツレヘムです。 ★星占術の学者たちについては、次週お話ししたいと思いますので、今日は触れません。 4節だけ読みます。 『王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、 メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。』 ヘロデは変な人です。彼の信仰は歪んでいます。『祭司長たちや律法学者たちを皆集めて』と言うくらいですから、彼らの知識、ユダヤ人の間に伝えられたメシア信仰を、理解しています。これに帰依することはなかったと思いますが、彼らの信仰・メシア信仰に脅えています。少なくとも、笑って済ますことは出来なかったようです。 来週の箇所にはみ出しますが、7〜8節。 『そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 8:そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。 わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。』 本当に拝む気持ちがあったのか。それとも、最初から、殺して脅威を取り除くつもりだったのでしょうか。それとも、博士たちに逃げられたから、躍起になったのでしょうか。 ★信仰がかけらでもあったならば、神の子を殺すなどという大それたことは出来ません。信仰など全くなく、ユダヤ人のメシア伝説を信じていないなら、放っておけば良いので、後に記されたような、行為は無意味だし、何の利益にもなりません。 『さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。 そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、 ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。』 こんなことをしたら、ただでも人々から嫌われているヘロデにとって、むしろ自滅行為です。これをローマに見咎められたら、大変なことになります。治安維持が出来ないという理由でローマから引導を渡されることでしょう。 来週の話ですが、博士たちは星を目当てに旅して来ました。目的を持っています。ヘロデにはそれがありません。目的のない人間こそが、持っている財産を守ろうとして悪あがきし、結局それさえも失うのです。 |