日本基督教団 玉川平安教会

■2025年8月10日 説教映像


■説教題 「知識を鼻にかけ」

■聖   書 テモテへの手紙一 6章11〜21節 


◇ 先週の礼拝を終えた辺りから体調が悪く、月曜日から寝込みました。ために、いろんな段取りが遅れてしま
いました。また、先週は、月報の作成とか、いろいろと用事の多い週でもあり、説教原稿を書くことが、なかなか
出来ませんでした。そうしましたら、玉川教会時代、玉川平安教会に転任する直前の説教原稿がありました。

 そこで、この時の原稿を下敷きにして、今日の説教としたいと考えます。偶にそういうこともあっても良いかと思
います。私自身の原稿ですから、盗作にもなりません。


◇ 8節から読みます。

  … 食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。 …

 たまたま、数日前、大阪釜ヶ崎・所謂愛隣地区を舞台とした小説を読みました。この数日前と言いますの
が、9年前になります。その詳細を述べる必要はありませんが、現代の日本に、『食べる物と着る物』に困る生
活者が存在するという事実に、躓きを覚えます。

 熊本大地震被害者は、『食べる物と着る物』には、何とか不自由しないようですが、住む所に不自由してい
ます。車の中での寝泊まり、結果としての、エコノミー症候群、何とも痛ましいことです。

 更に、今、日本各地に、「子ども食堂」が展開されているそうです。次の『信徒の友』に特集記事が載りま
す。

 「子ども食堂」とは、お料理が好きな子どもたちがメニューを工夫して、食堂を運営するという話ではありませ
ん。三度三度、御飯をいただくことが出来ない子どもたち、或いは、たった一人で食事しなくてはならない子ども
たちへの給食が、「子ども食堂」です。今、猛烈な勢いで増えているそうです。日本基督教団の幾つかの教会
でも取り組みが始まっています。こんなものが必要とされる現実に、躓きを覚えます。

 ここまで、ほぼほぼ、9年前の原稿です。地名さえ換えれば、現時点でも、全く当て嵌まります。9年間で世
の中は少しも良くはならず、むしろ、後退したとしか思えません。


◇  … 食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。 …

 これは勿論、衣食足れば、住まいは要らないという話ではありません。

 むしろ、人間らしい生活にどうしても必要なものは何かということを、見直し、考え直さなければならないという
ことです。当然、これに事欠くことがあってはなりません。不自由する人を見過ごしにしていてはなりません。だか
らこその『子ども食堂』であり、たった一人で食事しなくてはならないことを孤食というそうですが、そのための給食
ですから、玉川平安教会は、「子ども食堂」ではなく、『だれでも食堂・アガペー』です。


◇ 10節。

  … 金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、

   さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。 …

 保育所の園長を兼ねている友人の牧師から聞きました。彼が、園長として職業上知り得た秘密ですから、
詳細にはお話し出来ません。

 保育所は、保護者の収入によって保育料が違うそうです。月2400円(当時)が、最低料金だそうです。収
入がないということでしょう。その母親が、子どもを黒塗りの外車で送迎しているのだそうです。人それぞれ価値
観が違いますから、限られた生活費を何に使うのかは自由かも知れません。食べ物を節約してでも外車に乗り
たい人もいますでしょう。しかし、合点はいきません。少なくとも、我が子に充分な食事を与えず、自分は贅沢
な車に乗るなど、理解出来ないことです。


◇ 小中学校では、給食費を払えない、と言うよりも、払わない親がいるそうです。その子どもの中には、遠慮し
てお昼を食べない子がいるそうです。

 親が給食費を払っていないことを知っているから、食べないのです。食べられないと言った方が正確でしょう
か。払えないのなら仕方がありませんが、そうではなくて、払わない、ために子どもが傷つくなど、許し難いことで
す。まして、給食費を払わず、高級車に乗りたいとか、流行のファッションのためだったとしたら、論外です。


◇ 今日の聖書箇所から外れた箇所について、簡単に触れました。今日の箇所に入ります。

 11節。

  … しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避けなさい …

  『これらのこと』が、8〜10節です。簡単に言えば、贅沢を求めず、質素なもの、最低限必要なもので満足
し、現在与えられているものに感謝しなさいということでしょう。


◇ そして、11節後半。

  … 正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい …

 『贅沢を求めず、質素なもの、最低限必要なもので満足しなさい、現在与えられているものに感謝しなさいと
いうことでしょう』と申しましたが、厳密には、質素倹約を勧めているわけではありません。贅沢な生活よりも、遙
かに価値あるものが存在するという話です。それが、『正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和』だという話です。
あまりに綺麗事過ぎて、説得力がありませんでしょうか。


◇ 昔、こんなテレビ報道を見ました。ある人が、都会のサラリーマン生活、安定高収入の生活を捨てて転職
し、田舎に移り住み、収入は半減しました。その理由は、乗馬でした。

 つまり、乗馬が何よりも好きな彼は、週末だけの乗馬では飽き足らず、毎日でも乗りたいと思いました。それ
をするには、途轍もない費用が要ります。ならば、いっそ田舎に移り住み、牧場で働いた方が、収入が半分に
なっても、結局は得だというのです。

 最近は、こういった価値観に立って生きる人が増えているようです。ゴルフでも、釣りでも、サーフィンでも、農
業でも当て嵌まりますでしょう。

 要するに、その人にとって真に価値あるものに人生を賭け、そのためなら他のものは犠牲にして惜しまないとい
う人生観です。

 分かる気がします。合理的かも知れません。高級車のために、子どもを犠牲にするというのは、許し難いこと
ですが。高級車に乗りたいが第一で、そのためなら、結婚もしない、子どもも要らない、4畳一間で結構という
ことなら、合理的かも知れません。


◇ キリスト者は、どのような価値観の下に生きるのでしょうか。12節前半。

  … 信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい …

 これこそが、キリスト者の価値観です。そのためになら、他の一切を犠牲にしても惜しくはない、それが、キリス
ト者にとって、『永遠の命』です。

 『永遠の命』、あまり具体性がないように聞こえますでしょうか。

 使徒パウロが弟子テモテに対して問うているのは、あなたはそのように生きていますかということです。そのよう
に、働いていますかということです。 … 永遠の命を手に入れるために、信仰の戦いを立派に戦っているか … と
いうことです。


◇ 12節。

  … 命を得るために、あなたは神から召され、

   多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです …

  『永遠の命を得るために』と言うのが正しいでしょうが、それではオカルト的に聞こえる人もありますでしょう。真
の救いを得るためにと言い換えても内容は同じです。

 ここで言われていることは、当時の洗礼式に際して、或いは日本基督教団で言えば、按手式に際してのこと
でしょう。当時も今も、細かい所では違いがあっても、神と会衆の前で、『信仰を表明し』、信徒に、或いは牧
師になります。


◇ 神と会衆の前で、『信仰を表明し』、キリスト者になることの根拠が、13節です。

  … 万物に命をお与えになる神の御前で、そして、ポンティオ・ピラトの面前で

  立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、

  あなたに命じます …

  『万物に命をお与えになる神の御前で』、これは神の前でですから、現代と同じです。『ポンティオ・ピラトの
面前で』、これは会衆の前でとは、重なりませんが、この世に対してということなら、全く重ならないわけでもない
でしょう。

 一番簡単に言えば、十字架に架けられた方の前で、『信仰を表明し』たのです。私たちは、みんなそのように
して、キリスト者となったのです。


◇ 14節。

  … わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、おちどなく、

   非難されないように、この掟を守りなさい …

 ここだけ聞くと消極的倫理のようです。世間から批判されないように、テモテは若い伝道者ですから、教会の
長老たちに馬鹿にされないように、そんな風にも聞こえます。実際、テモテ書を通じて、そんなことが警告されて
います。

 しかし、それに留まるものではありません。何しろ、『信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れ』る
ためです。そして、『正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。』決して消極的倫理ではありませ
ん。


◇ そうではなくて、一つのもの、真に大事なものを手に入れるために、集中するということです。この一点に賭け
るということです。

 当然、『食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。』これも、質素倹約を心がけなさ
いということが、本意ではありません。一つのもの、真に大事なものに集中して、他の物に誘惑されてはならない
ということです。

 この一点に賭ける、競馬で言ったら一点買いです。教会にいらっしゃる方は、競馬のことなどご存じないかも
知れませんが、連勝とか連勝単式とか、いろいろ複雑な馬券があります。賭ける人は、何通りにも賭けて、全
部が外れることを回避しようとします。

 私は馬券一枚買ったことがありませんので、分かったようなことは言えませんが、阿佐田哲也の小説が大好き
ですから、一応理屈を知っています。いろんな賭け方があるけれども、たった一頭の馬、それが1位を獲ることに
賭けるのが、一点買いです。

 ところで、儲けるという漢字は、信者と書きます。人は賭けて、儲けるということでしょうか。これも、阿佐田哲
也の小説に有ったような気がしますが、記憶が不確かです。これ以上博打の話は控えますが、信者は、信仰
に、神さまに賭けます。一点買いです。


◇ 15節。

  … 神は、定められた時にキリストを現してくださいます …

 常に申しますように、初代教会の人々は、終末、この世の終わり、主の来臨を、時間的にも切迫したものと
考えていました。いろんな意味で、他のことを考える暇はありません。

 逆に言えば、試練も困難も、限られた時間内のことです。それは、終わりのある苦悩です。絶対のことと考え
てはなりません。永遠に続くことはありません。

 逆に言えば、時間が限られているから、ラストチャンスです。信仰は一点買いです。


◇ 15〜16節は、一寸論調が変わります。

  … 神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、

16:唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、

   だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です …

 今、聖書研究祈祷会でコリント書を読んでいます。分派闘争のあったコリント教会で、使徒パウロは言いま
す。一コリント1章12〜13節、冒頭に近い部分です。

  … あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」

  「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。  13:キリストは幾つにも分けら
れてしまったのですか。

  パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。

  あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか …

 キリスト者は、『祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、16:唯一の不死の存在、近寄り難い光の
中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方』 に賭けたのです。

 いろいろに形容されていますが、一人の方、キリストです。一点買いなのです。


◇ 15節後半。

  … この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン …

 キリスト者は、この神に全てを賭けたのです。一点買いなのです。


◇ 最後に、20〜21節を読んで終わります。

 … テモテ、あなたにゆだねられているものを守り、俗悪な無駄話と、

  不当にも知識と呼ばれている反対論とを避けなさい。

 21:その知識を鼻にかけ、信仰の道を踏み外してしまった者もいます。

   恵みがあなたがたと共にあるように …

  『ゆだねられているものを守り、俗悪な無駄話と、異端とを避け』ること、つまりは、『永遠の命を手に入れ』る
ことです。一心に求める者は、他のことに心や時間を費やす余裕はありません。一点買いなのです。