日本基督教団 玉川平安教会

■2023年12月17日 説教映像

■説教題 「不安が支配する時

■聖書   マタイによる福音書 2章1〜6節 

     

◆登場人物の誰に焦点を当てるかで、随分読み方が変わってきます。

 今日は、何時もなら、1〜12節を一緒に読むのを、敢えて、二つに分けました。しかし、前半と後半で登場人物は殆ど変わりません。後半に、『母マリア』とあります。一応マリアが登場しますが、他は全く一緒です。

 今日は、この物語の主役とも言える『占星術の学者たち』には、あまり触れません。次回、クリスマス礼拝で、この人たちに焦点を当てて読みたいと思います。

 ヘロデ王についても、最小限に抑えたいと思います。毎年のように、詳しくお話ししていますし、今回は、他のことに、紙数を割きたいからです。

 もう一つ前提があります。それは、主題そのものと言った方が適切かも知れません。

 主題とは、先週の箇所に出て来ました『夫ヨセフは正しい人であったので』という表現の『正しい』のことです。『正しい』と言葉を観点にして読んでまいります。


◆順に読みます。1節。

  … イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。

   そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、…

 イエスさまの誕生の地『ベツレヘム』については、6節でお話しします。先ずはヘロデ王について、最低限に抑えて説明します。既に毎年のようにお話ししていることに過ぎません。ヘロデは、ユダヤ人から見たならば、とても正統な王とは言えません。1章の系図のどこにも該当しません。そもそも、ユダヤ人でさえありません。

 いろいろとややこしい経緯を一言で説明するならば、成り上がり者です。また、2章16節以下を見れば分かりますように、残虐非道な人物で、勿論、ユダヤ人の人気・支持はありません。全くありません。更に一言で要約するならば、正しい王ではありません。


◆『占星術の学者』は、ヘロデとは真逆です。『占星術』、紛い物・インチキと聞こえるかも知れません。ギリシャ語を見ますと、マゴス、マギーで、マジシャンの語源です。マギー司郎というマジシャンがいます。私はこの人の話芸が大好きですが、マギー司郎を思い出したら、ますます、インチキ臭くなります。しかし、口語訳聖書では『東からきた博士たち』と訳されています。

 『博士たち』、『学者』です。単なるインチキ占い師ではありません。むしろ、天文学者と言った方がよろしいでしょう。歴史を遡れば、『占星術の学者』はその天文学的知識により、農耕にとっては、重要な存在でした。何時種蒔きをするのか、刈り取るのか、洪水は何時起こるのか、こういうことを知っており、その知識で人々の上に立つ者、王族だったと考えられています。つまり、成り上がり者のヘロデとは真逆です。

 更に、ちょっとこじつけに聞こえるかも知れませんが、天文学ですから、星の運行を正しく知っています。正に、正しい人たちです。この点でも、ヘロデとは真逆です。


◆2節。

  … ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。

   わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。…

 『占星術の学者』ですから、星を観察していて、新しい星を発見しました。それを、彗星だと説明する人もいますし、土星と木星との会合現象だと言う人もあります。この辺りの話になりますと、大変興味深く、概要を説明するだけでも、30分あっても足りません。

 とにかく、彼らは新しい星を発見し、この星を追いかけて『東方』から、はるばるとやって来ました。土星と木星との会合現象だとすれば、パレスチナに救世主が誕生するという伝説に符合します。その辺りも大変興味深いのですが、焦点を、主題を絞りたいので、今日は省略します。

 この点だけもう一度確認します。星の運行は定まっています。周囲の状況によって揺らぐようなことはありません。つまり正しい、これが肝心かと思います。


◆更に重要なのは『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。』と聞いたことです。

 星を観察して、新しい王の誕生を意味すると考えました。そこで彼らは、ヘロデの王宮を訪ねました。当然でしょう。新しい王は、現在の王の家に生まれるでしょう。

 この推測は間違っていました。正しくありませんでした。何故なら、ヘロデその者が正しく王ではないからです。


◆3節。

  … これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。…

  エルサレムの人々も皆、同様であった。…

 大王とも呼ばれていた人が、氏素性も知れない『占星術の学者』の言葉に『不安を抱いた』と述べられています。不安を感じる理由があったからに違いありません。不安を感じる程に、大王ヘロデの立場は実は脆弱なものでした。正しい王ではないからです。

 この点でも、伝説を交えて、いろいろと面白い物語が伝わっていますが、省略します。31日に少し触れたいと思っています。


◆3節後半。

  … エルサレムの人々も皆、同様であった。…

 これは大げさに聞こえます。しかし、『エルサレムの人々も皆』不安に思う根拠がありました。正しい王ではない者をいただいていること自体が不安材料です。何時政権がひっくり返るかも知れません。不安定な政権の下では、今日明日のことはともかく、あさってのことまでは考えられません。どんな準備も努力も無駄になる可能性が高くなります。不安定な政権の下では、何とか今日という一日を生き延びることが、一番大事なことになります。それ以外は出来ません。

 正しくない王の下では、正しい市民は存在出来ません。むしろ、正しくない者だけが、残ります。不正で邪悪な環境の方が居心地が良い、悪い者だけが残ります。


◆4節。

  … 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、

   メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。…

 『祭司長たちや律法学者たち』、ヘロデが政治的な指導者ならば、『祭司長たちや律法学者たち』は、宗教的な指導者です。そうでなければなりません。

 実際彼らは、律法や預言書について、専門的な知識を持っています。ヘロデの問に、即座に答えられる程の、専門的な知識を持っています。彼らの知識は、正しい知識です。少しも間違いはありません。


◆5節。

  … 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。…

 迷うことなく即座に、正しい答えをすることが出来ます。

 単に『ユダヤのベツレヘムです。』と答えるだけではなく、その出典も正しく上げることが出来ます。大した専門家です。それが6節です。

 しかし、彼らは、正しい答えをして自己満足し、ベツレヘムに向かおうとはしません。向かう必要を感じていません。

 つまり、新しい王、と言うよりも、ミカが預言した救世主・メシアを拝みに行こうとはしません。その必要を、全く感じていません。


◆ヘロデでさえも、8節のように言っています。

  … 行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。

   わたしも行って拝もう。…

 これは嘘で、『見つかったら』殺そうと考えていたのですが、それにしても、この言葉が、ユダヤ人の常識、普通の信仰であることは知っていました。

 しかし、『祭司長たちや律法学者たち』は、そのようには考えません。どんなに正しい知識を持っていても、本来的に、彼らは正しく『祭司長たち、律法学者』ではありません。


◆学者ならそれで良いのかも知れません。聖書学者も、宗教学者も、学問的に正しい知識を持っていれば、立派な学者なのかも知れません。

 学者には、信仰を持っている必要も、礼拝を守る必要もないのでしょう。そのことを、とかく批判しても意味がないでしょう。学者であって信仰者ではないのですから。

 ただマタイ福音書は明らかに言っています。『祭司長たちや律法学者たち』は、正しい信仰者ではないと。


◆さて、6節です。

  … 『ユダの地、ベツレヘムよ、 

  お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいものではない。

  お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」 …

 キリスト預言です。

 何故ベツレヘムなのか、そこから考えなければなりません。

 ベツレヘムは、伝説のダビデ王の生誕地です。それは大きな意味を持ちます。かつて、神さまはダビデを王として選び、ダビデの子孫が王位に就くことを約束されました。だから、ベツレヘムです。

 しかし、もっと大きな意味があります。それは、エルサレムではないという事実です。普通なら、新しい王は、現在の王宮に誕生します。少なくとも、都の王族、貴族から生まれます。しかし、ベツレヘムです。都ではありません。王族、貴族も軍人もいません。

 ベツレヘムはダビデの生誕地ですが、しかし、ベツレヘムが都だったことはありません。ダビデは、先王のサウルが、主の御言葉に聞かない、つまり正しい王ではなくなったから、新に立てられました。主の言葉に聞く、正しい王として立てられました。


◆何故ベツレヘムなのか。エルサレムが、都がもはやキリストの誕生にはふさわしくないからです。不正に満ちているからです。都に住む王族、貴族も軍人も、正しい姿を失っているからです。

 同様に、キリストの母は、何故マリアなのでしょうか。本当なら、女王、王女、貴族、せめて軍人や祭司の娘こそ、メシアの母としてふさわしいでしょう。しかし、マリアです。村娘に過ぎないマリアです。

 何故なら、贅沢と驕りに染まっている女王、王女、貴族、軍人や祭司の娘は、正しい生活、信仰を持っていないからです。

 

◆説教では政治を論じないことにしています。しかし、このくらいは言っても良いでしょう。国会議員の3割強が2世3世議員です。4世もいます。ほぼほぼ貴族化しています。最近は2世3世の女性議員が話題になっています。中には、近い将来の総理候補と言われる人もいます。しかし、何故か、次々とスキャンダルに見舞われます。そのスキャンダルに共通しているのは、傲慢、不遜のようです。

 マスコミの情報しかありませんから、一人ひとりの本当の姿など、私には分かりません。しかし、貴族化した、傲慢不遜な2世3世議員には、総理になって貰いたくないとは考えます。


◆ミカの神学的特徴は、当時の政治・宗教の指導者たちに対する鋭い批判にあります。農業技術の革新により、大地主が生まれ、農地の寡占が起こり、土地を失った小作農民は、エルサレムに流入しました。難民化しました。3万人の人口が適正な城塞都市エルサレムに、10万とも20万とも言われる人々が暮らすようになっていました。

 更に、世界的な政治情勢により、軍拡競争が始まりました。鉄で装甲した軍馬や馬車が造られ、圧倒的な軍事力となりました。戦車です。

 軍備を整えるためには、兵士と資金が必要です。農耕民も牧畜民も、土地を失い、兵士として生きるしかなくなります。

 ミカは、これを徹底的に批判しています。2章2節。

  … 彼らは貪欲に畑を奪い、家々を取り上げる。

  住人から家を、人々から嗣業を強奪する。…

 また預言します。4章3節。

  … 彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。

   国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。…

 ミカの神学的特徴は、都会文明の破綻を預言することと、軍拡競争の否定にあります。


◆6節に指導者という字が2回使われています。新約聖書の時代には、指導者はもはや指導者ではなく、貧しい者の上に君臨する暴君でしかありません。イスラエルの伝統である羊を飼う者、羊を導く者はいません。暴利をむさぼる簒奪者しかいません。

 ミカの預言は、そしてマタイがこれを引用したのは、正しい指導者としてのメシアを描くためです。正しい牧者を理想とするからです。力でも知識でも、他のどんなことでもなく、正しいこと、正義を、メシアの姿として上げているのです。

 これはルカ福音書にも共通します。聖書のクリスマスは、先ず平和を、そして正義を行う王の誕生を描いています。それが私たちの守るべきクリスマスです。