◆私の最初の任地は、秋田県の大曲教会です。これは不思議な教会で、礼拝出席30名くらいなのですが、何故か大教会と見做されていました。荒井源三郎という有名な牧師がいたことが、その大きな理由かと思います。東京の牧師たちに、出席者100名くらいですかと聞かれて、30名ですと答えると、皆が驚きます。 実際以上に大教会と見られていた理由の今ひとつは、土地の有力者が役員だったからだと考えます。医学界の大物の医者が、教会創立メンバーでした。有名な農民運動の指導者もいました。大きな材木商が二人もいました。議員をしている印刷会社社長もいました。 私が赴任した当時も、秋田県の長者番付第一位が、教会員でした。荒井先生の息子で医者です。その兄は、東大名誉教授です。 国会議員選挙になると、候補者が自民党から社会党まで、皆、教会に挨拶に来ます。東京では考えられないでしょう。 ◆これは、田舎の教会の特徴です。白河教会では、知事の首さえすげ替えられると言われる人が、役員でした。松江北堀では、町で一番大きな病院の副院長経験者が二人役員でした。歴代の島根大学学長の内、4人までが教会に通っていました。地方裁判所の所長もいました。市内や近隣に大学が幾つもない町なのに、大学教授が何人もいました。 地方の教会は、必ず、数人、或いはたった一人でも、土地の有力者がいて、この人がいてこそ、教会が成り立っていました。地域における教会の信頼度が違いますし、財政的にも支えられます。これらの人の存在なしには、教会は成り立ち得ませんでした。 ◆50年前の学生運動、これが飛び火した教団紛争で、このような教会の体質が、徹底して批判に曝されました。当たっている部分もあるとは思いますが、何しろ、この運動の思想的拠り所は、毛沢東主義であり、時にはポル・ポトであり、場合によっては、キムイルソンですから、無神論です。本来、教会とは相容れないものです。 当時はいろんな社会矛盾が存在し、その出口が見えなかったと思いますし、同様に、教会にも神学校にも問題が存在したと思います。しかし、無神論が教会の思想的拠り所になろう筈がありません。この運動は、教会では、所詮、造反有理の紅衛兵運動に過ぎませんでした。 ◆起承転結の起・承・部分の話をしました。これから転になります。 白河教会員に、他の皆さんから『イネちゃん』と呼ばれ親しまれている婦人がいました。 穏やかで明るく、飾りっ気のないとても良い人柄です。皆から愛されていました。 私の末っ子などは、大変に可愛がって貰いました。未だおはようございますと言えない時に、この人の玄関で、ワンワンと言って勝手に入って行き、勝手にお茶箪笥を開けます。そこには、何時でも、子供用のお菓子が用意されていました。 お菓子の在庫が乏しくなると、ここの家のご主人が、「牧師さんの子どものお菓子を調達して来なくっちゃ」と出掛けます。行き先はパチンコ屋です。 ◆これは転にならない話だったかも知れません。もう少しお付き合い下さい。 私は、『イネちゃん』と皆に呼ばれる婦人を、そのような好人物だと見做していました。悪く言えばそれだけの人だと思っていました。 ところが、ある時、話のきっかけはありましたが、それは無用でしょう。涙ながらに話す物語を聞かされました。 ご主人は満州鉄道の運転士でした。夫婦と子どもたち、戦後、命からがら日本に逃げ帰った引き揚げ者でした。その引き揚げ船の中で、末の男の子を亡くしました。 栄養失調で、何と下顎が腐って落ちたのだそうです。様子を思い浮かべるのも困難です。 私がこの話を聞いた時には、出来事から既に40年近くも経っていたのですが、癒やされることのない悲しみだったのです。 ◆しかし、彼女は言いました。その時に信仰がなかったら、生き延びることも出来なかった。信仰だけが支えだったと。 そして、これもその時に、始めて聞かされました。若い時、旧制の女学校時代、この人の実家に、下宿している人がありました。若い女性宣教師です。この人の元で、毎晩毎晩、聖書の講話を聞き、お祈りしたというのです。それがこの人の信仰の始まりでした。 私はこの人を、既に申しましたように、ごく平凡な人生を送り、ごく平凡な教会生活をして来た人だと、勝手に思い込んでいました。とんでもありません。劇的な信仰の物語を秘めていたのです。 同様のことが、いろんな人に当て嵌まります。表面には見えなくとも、出さなくとも、時には隠していても、心に物語を秘めている人が多いのです。 ◆大曲教会に話を戻します。私の伝道師としての任期は2年でした。2年目の夏頃になり、荒井牧師が隠退を表明しました。 当然と言えば当然ですが、私が後継者に擬されました。しかし、荒井先生は、伝道師として働いた者が、主任の後に座るのは良くないという考え方で、そのような事例で成功した試しはないとまで言います。荒井先生は教区議長を長く務めましたし、教団の教師検定委員長もしましたので、皆、納得するしかありません。 その一方で、私の新任地は決まりません。だんだん不安にもなります。 当時、大曲教会には12人の長老と7人の執事がいました。役員計19名です。その内、二人を除いて17名が、私の所に直談判にやって来ました。何とか、残って欲しいと言うのです。 ◆しかし、私は、後継者に決まっている人に既に会っていました。神学校の先輩に突然呼び出されて、大曲教会の様子を教えて欲しいと言います。会うのに人目を憚られますので、中間点に当たる秋田市で落ち合い、話をしました。 もう教区レベルでは決まっていたのです。知らないのは、肝心の大曲教会員です。 ◆役員計19名中、17名までが直談判に来ても、私は事情を話すことも出来ません。独りの役員は、牧師は教会に仕える者でしょう、奥さんが東京の人だから、どうしても東京でなくてはならないのですかと、語気荒く言いました。しかし、私は何も答えられません。 そんな時、長老の一人が訪ねて来ました。この人は農家です。農家らしく無口で、話どころか、声を聞いたことさえ殆どありません。役員会で発言することも全くありません。 この人が、正月なのに、飼っている鶏を潰し、餅をついて持参しました。これは、秋田の習慣ではあっはならないことです。餅をつくのは暮れの29日と決まっています。正月に鶏を潰すなどありえません。しかし、彼はそうして自分の気持ちを伝えたかったのでしょう。しかし、これにも応えられません。 この人は寡黙で、意見を言うことも希ですが、しかし、教会を思う気持ちは誰にも負けません。多弁な役員よりも、寡黙な役員こそが教会を思い支える、ままあることです。 結局私はこの人の思いに応えることが出来なかったのですが、その方が良かったと考えます。伝道師を支持して、主任牧師と対立しても仕方がありません。それに、この人は、このような人は、必ず、誰が赴任して来ても、新しい牧師を支えます。 役員会で何も言わないかも知れませんが、しかし、支えます。 ◆起承転結の結の部分です。 教会は、特に田舎の教会は教会員の絶対数が少ないこともあり、一人二人の有力者がいて、初めて成り立つことがあります。しかし、それだけで教会が成り立つのではありません。目立たないけれども、本当に大事な役割を担っている人がいます。このような人が、病気になって礼拝に出られなくなると、初めて皆が実感します。その人の存在がどんなに大事だったか、実は、信仰の交わりの中心にいたということが。 ◆このような事例は、上げだしたらきりがありません。私の経験では、各教会に一人二人三人と、必ずいます。そのような人の目立たない働きがなければ、教会の交わりが、潤滑油を切らしたように、ギクシャクします。動かなくなるかも知れません。 目立たないけれども、絶対に必要な役割を果たしているのです。 ◆今日の箇所の前半部、1〜5節。弟子たちの中に、誰が一番偉いのかという、競争がありました。この話は20章で、もう一度蒸し返されます。これは、人間のどうにもならない性です。自分を他の者よりも高く評価して貰いたい、そういうどうにもならない性です。 長くサラリーマンを務めた人に聞いたことがあります。所謂一流会社の役員にまで出世した人です。ある時、同期入社の同僚よりも、給与の査定が100円低かったそうです。これが彼にとっては、絶えられないほどに悔しかったと聞きました。100円です。互いに給与証明を見せ合うほどの親しい関係です。しかし、100円が悔しかった。 金額ではありません。評価です。比較です。人間にはそういう面があります。 ◆3節。 『はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、 決して天の国に入ることはできない。』 『子供のように』とは具体的にはどんなことを意味するのか、昔から議論されて来ました。アウグスチヌスの時代に既に、『子供のように』とは「子どものように無邪気にとか、天使のように純粋無垢でと言う意味ではない」と言われていました。アウグスチヌスは、『子供のように』とは背が低いことだと言いました。 「背が低いから、天国の門を潜ることが出来る」、ならば、私のように背が低い者には、嬉しい説ですが、勿論、それがアウグスチヌスの真意ではありません。 いろんな、どんなに子どもが素晴らしいかと言う説・解釈を否定するためでしょう。逆に素晴らしくはない者、取り柄のない者、少なくとも自分では取り柄がないと思っている者こそが、天国に近いという説です。逆を言えば、我こそはと自負している者は、天国には遠いということです。子どもを美化してしまうと、この真意が隠れてしまいます。 ◆4節。 『自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。』 低くはない者、これは社会的地位でしょうか、教養でしょうか、信仰的に、かも知れません。低くはない者は、自ら身をかがめて低くならなければならないと、言われています。 5節。 『わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、 わたしを受け入れるのである。』 これが、この段落の結論であることは、あまりにも明らかです。文字通りに『一人の子供を』と解釈するのも間違っていないでしょう。いろいろな理由で、小さくされている人、貧しい人とか、難民とか、病にある人とか、悩んでいる人と採るのも間違っていないでしょう。 間違っているのは、『子供のように』とは、何かしら素晴らしい資質のことだとして、結局優れた人を受け入れ、そうではない人を退けることでしょう。 ◆後半部6〜9節は、この裏返しです。 小さくされている人を退けることは、大きな罪です。 白河教会に、80年配で、とても小柄、そして心臓に病を抱えている人がいました。この人は、健常者なら20分程度の道のりを、休み休み小1時間も掛けて歩いて来ます。時に、礼拝中立っているどころか、座っていることも困難になり、長椅子に横になって礼拝を守ります。 白河教会員は、この人を、そしてその礼拝の姿勢を全く受け入れていました。それどころか、他の皆さんの励みになっていました。無言で、礼拝の尊さを教えていたのです。勿論、当人には、そんな気はありません。常に、皆さんに申し訳ないと言っていました。 ◆ある教会では、未だ30歳の女性が、心臓の病を持っていて、いまお話しした白河教会の老婦人と似たような様子でした。 同じ教会員に青年、と言うより中年になりかけた独身男性がいました。この人に、教会の有力者から縁談が持ち込まれました。人柄が良く、仕事熱心で、評価の高い人でした。彼は、この縁談を断り、その理由として、先に触れた、心臓の病を持つ30歳の女性が好きだから、彼女と結婚したいと言いました。 縁談を持ち込んだ人も、牧師も、この結婚に反対です。理由は病気です。 ◆しかし二人は、親戚や教会の周囲の反対を押し切って結婚しました。ごく少数の青年たちだけで、お祝いをしました。この二人に、なんと子どもが出来ました。無事に女の子が誕生しました。この子は、「めぐみ」と名付けられました。神さまの恵みだからです。 二人の結婚に反対した気持ちは分かります。この男性を思ってのことでしょう。しかし、厳密に言うならば、この男性の何を思った結果でしょう。彼の仕事、社会的立場、そして、健康な女性との間に子どもが生まれるだろう将来のことでしょう。 しかし、この男性にとって大事なものは、病を持っている女性への愛だったのです。これが一番大事なものだったのです。私たちも、信仰の目で見なくてはなりません。本当に大事なものを見誤ってはなりません。本当に尊いものを見誤ってはなりません。 |