日本基督教団 玉川平安教会

■2023年7月2日 説教映像

■説教題 「救い主は子ろばに乗って」

■聖書   マタイによる福音書 21章1〜11節 

       

◆普段はなるべく避けるように心がけていますが、今日の箇所では、字句の説明と歴史的な背景に、若干触れた方が分かり易いかと思います。

 先ず、1〜6節の全体について。いろんなことが割愛されていて、正直、合点がいかないような気が致します。何故驢馬の子がつないであると分かったのか。しかも、誰も乗ったことがないということまで。…イエスさまは何でもご存知だという説明で良いのかも知れませんが。弟子たちはイエスさまに指示されていた通りに行動したのだから、まあ良いとしても、驢馬の持ち主の反応は不可解です。マタイ福音書は、マルコ福音書も同様ですが、その間の事情を、何も説明していません。


◆こんな説があります。この驢馬の持ち主が、福音書記者マルコの父親だと言うのです。最後の晩餐を取った家も、ゲッセマネ即ち油絞りの園も、全部マルコ家のものだそうです。…確かに、それならば合点が行きます。イエスさまが何故驢馬について知っておられたのか。驢馬の持ち主の反応を予測出来たことも。そして、マルコは何故その間の事情を記さなかったのか。皆、合点が行きます。

 推理・仮説としては大変に面白いのですが、しかし、証拠は何もありません。少なくとも、そういうことを知り得たとしても、この出来事の意味を探るための、大きな手がかりにはなりません。


◆改めて、2節を読みます。

  … 向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、

   一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、

  わたしのところに引いて来なさい。 …

 マタイ福音書では驢馬と子驢馬、2頭の驢馬がいたように描かれています。マルコ福音書11章の並行記事では、一頭だけとしか読めません。それは些末な違いでしょうか。

 マタイ福音書では、明らかに、ゼカリヤ書9章9節が引用されています。

 ちょっと引用が重なりますが、読みます。

 『シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。

   見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、

   柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る。』

 マルコによる福音書でもこのゼカリヤの記事が背景にあることは間違いありません。『ろばの子である子馬に乗る』つまり、驢馬と言う言葉を強調するために、パラレルに繰り返したものを、マタイが解釈して、或いは誤解して、2頭いると考えたのでしょうか。

 どちらにしても、何故、驢馬なのか、しかも子驢馬なのかということが問題になります。イエスさまが驢馬を見つけた時の事情ではなくて、ゼカリヤ以来、イスラエルの王の乗り物として驢馬が選ばれていること自体が問題です。


◆イスラエルの歴史を通じて、アッシリアやカルディア、マケドニアそしてローマの侵略者たちは、皆、馬に乗ってやって来ました。大柄な馬ですと、いかにも英雄豪傑にふさわしいと見えます。それも白馬か逆に真っ黒な馬か、迫力があります。小柄なナポレオンも、大きな白馬にまたがった姿が描かれています。その反対のものが驢馬です。

 士師記の時代には、士師や予言者は驢馬に乗っています。つまり、ここでは戦の王ではなく、平和の王であるということが強調されているのです。

 この歴史的背景でもって、何故馬ではなく、驢馬なのかと言う説明はもう充分かも知れませんが、この際ですから、馬と驢馬の関係について、もう少し申し上げておきます。

 何故、驢馬の中でも、子驢馬が選ばれたのか。マルコ福音書が強調するように、「未だ誰も乗っていない」からでしょうか。「未だ誰も乗っていない」から、汚れていない、神聖だという強調でしょうか。疑問が残ります。

 むしろ、小さいことの強調ではないでしょうか。


◆イエスさまは大男だった可能性があります。当時のユダヤ人の平均身長は、180センチくらいあったかも知れません。ユダヤの物差しでは、キュビドつまりひじから中指の先までの長さを基準としています。短尺で45センチ、長尺は52センチだそうです。これで計算しますと、185〜200センチになります。185で普通人とすれば、大男は…190センチは軽く越えます。キュビトはちょっと多めに見積もっているかも知れません。

 しかも、日本人とは、同じ身長でも、足の長さが違います。つまり、これで子驢馬にまたがった場合、地面に足が着くくらいではないでしょうか。ドンキホーテを連想させられます。

 ゴチャゴチャ言っておりますが、要するに、驢馬は戦争に赴く大男が乗るのに、格好の良い乗り物ではありません。敢えて、驢馬なのは、馬、これが象徴する力・軍事力が徹底的に退けられているという意味です。


◆ついでに言いますと、クリスマスの場面の飼い葉桶ですが、普通に馬小屋の馬の飼い葉桶と考えられていますが、飼い葉桶という字は聖書に計3回しか出て来ません。クリスマス以外ではヨブ記に見えますが、これははっきりと驢馬の飼い葉桶となっています。そうしますと、クリスマスの場面でも、驢馬の飼い葉桶と考えるのがむしろ自然です。また、馬小屋ではなく、驢馬小屋かも知れません。 … 無駄な知識に過ぎません。

 驢馬の背中にある十字架の模様に注目する人もあります。これは、ゼカリヤまでは遡ることが出来ません。しかし、興味深い一致ではあります。 … しかし、無駄な知識に過ぎませんでしょう。


◆アブラハムがイサクを捧げるために連れて行ったのも驢馬です。つまり驢馬の背中には犠牲になるものが乗ります。このことは重要な背景と受け止めるべきでしょう。

 一方で驢馬は肉がまずいので自分が犠牲の肉になることはないそうです。

 民数記22章に描かれるバラクのエピソードがあります。驢馬はバラクに神のみ旨を教えました。この逸話は触れていると長くなりますし、以前に読みましたので今日は省略致します。大変面白い物語ですから、是非お読み下さい。民数記22章です。

 何故驢馬なのか、結論を申しますと、イスラエルの本当の王、武力や経済力によるのではない、神の信任を受けた王は、驢馬の子に乗ってやって来る平和の王なのだと強調されているのです。


◆7〜8節。

  … 弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、

  7:ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、

   イエスはそれにお乗りになった。

   大勢の群衆が自分の服を道に敷き、

   また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。…

 単純に読めば、民衆がイエスさまを大歓迎しました。その通りなのですが、ここで、むしろ、直截には描かれてはいない事柄と比較して見なくはなりません。

 それは、凱旋するローマの英雄たちの姿との比較です。ローマの将軍は地方の戦場で大手柄を立てると、ローマの都に凱旋してまいります。この将軍・英雄のために、新しい、つまり他の誰もくぐったことのない門が作られます。凱旋門です。その門を、煌びやかな衣装をまとい、立派な馬に乗った将軍が潜ります。将軍が進む道には、絨毯が敷かれます。行列は、香料を染みこませた花びらを撒き、お金を撒きます。そして、華やかな行列の最後尾には、大勢の捕虜が引き立てられて来ます。この捕虜が多い程、将軍の手柄は大きい訳です。何より行列が進む沿道には、十字架に磔にされた敵の兵士たちの屍があります。


◆一方、イエスさまを迎える民衆の様は、馬の背に置く鞍はありません。道に敷く絨毯もありません。民衆の粗末な汚れた服が置かれ、木の枝が敷かれました。多分棕梠の葉です。棕梠、即ちなつめやし、ありふれたものですが、貧しい者の貴重な栄養源だったそうです。ここにも、人々に何をもたらす王かということが描かれています。

 貧しい民衆が求めるものは、第一に食べ物です。食べ物だけかも知れません。本当に追い詰められた人々が求める者は、今日食べるパンです。


◆ここの場面から、コリント人への第2の手紙2章、『キリストのかおり』の箇所を連想するのは、ごく自然の成り行きと思います。

 『しかるに、神は感謝すべきかな。神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、  わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、

  至る所に放って下さるのである。

 15:わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、

  神に対するキリストのかおりである。

 16:後者にとっては、死から死に至らせるかおりであり、前者にとっては、

   いのちからいのちに至らせるかおりである。

  いったい、このような任務に、だれが耐え得ようか。

 17:しかし、わたしたちは、多くの人のように神の言を売物にせず、

   真心をこめて、神につかわされた者として神のみまえで、

  キリストにあって語るのである。』


◆長い引用でした。

 『凱旋の行列に伴い行き』とは、遠征から大手柄を立てて帰還した□一マの将軍の姿に準えて、信仰の勝利する様子を描いたものです。こう申しますと、如何にも華々しいのですが、実はローマには、凱旋の際に敗戦国の捕虜を奴隷にし、行列に加えてその数を誇るという風習がありました。パウロは、自分をこの捕虜として奴隷として、描いているのです。キリストの下僕と自称したパウロならではです。

 またローマでは、この行進の際に、沿道の群衆に向かって、お金やお菓子と一緒に、様々な香水が振り撒かれました。パウロのキリストの香りという表現は、このことがヒントになっています。

 言うまでもありません。ここで使徒パウロが描くキリスト者の姿とは、エルサレムに入城されるイエスさまの姿です。別の言い方をすれば、十字架への道を歩かれる姿なのです。

 ローマの凱旋軍は、花や香水の香りの中を進軍して来ます。勝利の香りです。しかし、実際には、それは死の香りです。幾万もの兵士や市民の死骸が放つ死の香りです。

 凱旋軍が行進する沿道には、十字架が立てられ、捕虜たちが縛り付けられ、腐って死臭を、死の香りを放っています。 … 今日でも同じことが繰り返されています。死の香りを放つ者が、英雄として都に迎え入れられます。


◆今日の箇所を読む上で、絶対に忘れてはならないことがそれです。イスラエルの王としてエルサレムに入城されるイエスさま、それは、十字架への道を歩まれるイエスさまです。

 ゼカリヤ書を通しても、イスラエルの王が平和の王として描かれていることは間違いありません。そして、より具体的には、柔和な王、優しい王の姿で描かれています。しかし、マタイ・マルコ福音書に於いて決定的なことは、柔和なことでも優しいことでもありません。そうではなくて、彼は、十字架に架けられた王なのです。

 常に申しますように、十字架こそがイスラエルの王、キリストの玉座です。

 ローマや他の国々の王は、無理矢理に捉えた多くの捕虜を従えて、凱旋し、或いは十字架に架けて勲章にするのですが、イスラエルの王、キリストは、自らが十字架に架けられます。そして、この王の後には、使徒パウロのように、自らの覚悟で、自らの十字架を背負う者が続くのです。彼らは十字架に向かう死刑囚です。しかし、彼らは死の香りを放っているのではありません。キリストの十字架の香り、命の香りを放っています。

 それが、パウロの言うキリストの香りです。


◆9節。

  … そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。

   主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」…

 『ホサナ』とは、本来の意味は『救い給え、憐れみ給え』です。民衆は、単に万歳くらいの意味合いで叫んでいると思いますが、本来は、『救い給え、憐れみ給え』です。

 民衆は本当の意味は解っていなくても、『救い給え、憐れみ給え』と叫びました。

 この民衆の願いに応えて、イエスさまは自らを十字架に架けることで、民衆に真の救いを、憐れみをもたらしたのです。 … それがキリストの香り・命の香りです。


◆先々週になりますが、聖書個所としては直前の箇所を思い出して下さい。道端に置かれた二人の盲人、乞食が『主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください』と叫びました。ホサナと同じことです。彼らはイエスさまが『何をしてほしいのか』と逆に問われると直ちに、『主よ、目を開けていただきたいのです』と答えました。

 またこのように続いています。

 『イエスが深く憐れんで、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり』。 イエスさまは、貧しい者、だから切実な願いを持っている者に応えて下さいます。

 『その目に触れられると』とあります。これは手かざしのような魔術ではありません。弟子たちが、惨めな乞食を遠ざけようとされたのに、イエスさまはその距離を縮め、自らの手で、彼らの穢れた所に触られたのです。それが私たちが信じ従うべき王の姿です。