日本基督教団 玉川平安教会

■2020年12月24日 説教映像

■説教題 「イエスさまの居場所]
■聖書  ルカによる福音書 2章1〜7節他




○ ロバート・シルヴァーバーグという作家のSF作品『時間線を遡って』に、こんな場面があります。時間旅行・タイムトラベルが可能になった未来社会には、人気観光地ならぬ人気観光時間があります。多くの旅人が、歴史上の有名な事件が起こった場所に行きたがります。最も人気なのは、結果、料金が高いのは、イエスさまの十字架の場面・時間です。

 そこではこんな珍現象が起きています。つまり、イエスさまの十字架が見える場所に、大勢の人々が群がっています。その群衆の大半は、実は、時間観光の旅客です。最初の時は僅かな人数でした。次の時は、送り出す時は翌年ですが、辿り着くのは前回と全く同じ時間なので、今回の客の側に、前回の客がいますから、数は倍になります。

 やがて、人気観光スポットには、観光客が群がることになります。イエスさまの十字架を取り巻き、眺める人の数は数万人にもなってしまいました。


○ SFではなく、歴史上の実際はどのような光景だったでしょうか。実に侘しい光景です。イエスさまが十字架に付けられたゴルゴダの丘は、エルサレムの都の外れ、荒野と呼ばれる場所との境にあったと思われます。多分、今日ゴルゴダの丘と言われる場所とは別でしょう。

 ゴルゴダが、されこうべという意味だとは、ちゃんと聖書に記されています。荒涼とした、むしろ殺伐とした丘でしょう。そこに、何人の人がいたのか、4つの福音書に描かれる人物全てを上げても、数十人でしょうか。もっと少ないでしょうか。間近にいたとなると、ローマの兵士・処刑人と、十字架に付けられた二人の強盗だけです。

 ヨハネ福音書には、母マリヤとヨセフがいたとありますが、正確には遠くにいたとあります。

 イエスさまを愛する者、信じる者は一人もいなかったと言って間違いはありません。敢えて言えば、一緒に十字架に付けられた強盗の一人だけです。


○ 遠藤周作がこんな意味のことを言っています。人は何時如何にして死ぬのかということを考えないではいられない。それを口にもする。しかし、何処で死ぬのかということは考えない。実は、病院のベットの上だ。

 若い時に、この言葉に考えさせられました。私は、何時如何にして死ぬのか。

 昔は、畳の上で死にたいという表現がありました。まっとうな暮らしをしていればこそ、畳の上で死を迎えることが出来ます。もっと昔のお侍さんならば、戦場こそ、我が死を迎えるべき場所だったでしょう。

 しかし、遠藤周作の言葉は、些か古びてしまいました。今日では、大半の人が、病院のベットの上で亡くなります。それが当たり前だから、最後には家に帰って、家族に看取られたいと考える人も多くなりました。病院で数日を数ヶ月を生きながらえるよりも、例え日数は縮んでも、我が家でという気持ちは良く分かります。しかし、なかなか事情が許しません。我が家で、家族に看取られてというのは、今日では、大変に恵まれたこと、贅沢なことでさえあるかも知れません。

 コロナ禍の中、より厳しい現実となっています。


○ 話を戻して、タイムトラベルの図式は、クリスマス、イエスさまの誕生の時にこそ、ぴったりと当て嵌まります。シルヴァーバーグ流に考えるならば、ベツレヘムの馬小屋の周囲には、100万人がひしめいているかも知れません。

 否、2020年という時が重ねられて、今では、この時間に、10億単位の人が集い、お祝いし、その10分の1、それでも億単位の人が礼拝を持っています。

 今日、この時もそうです。


○ クリスマスの場面では、そこに何人いたでしょう。全員数えることが出来ます。イエスさまと母マリヤ、父ヨセフ、東方から来た3人の博士、この博士たちには、伝説上ではちゃんと名前さえあります。

 最初のクリスマスの参加者はこれだけです。

 多分博士たちが帰ってから、羊飼いたちがやって来ました。人数は分かりません。勿論名前も分かりません。しかし、私が知らないだけで、どこかの伝説では人数も名前も記されているかも知れません。

 この人たちも、じきに帰ってしまいました。結局、一緒にクリスマスの一夜を過ごしたのは、聖家族3人だけです。


○ クリスマスの場所は何処だったでしょう。ルカ福音書2章7節。

 『ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、

  7:初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。

  宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである』

 この箇所、表現には、大いに疑問を持ちます。『宿屋には彼らの泊まる場所がなかった』、母マリヤ、父ヨセフは、住民登録のために、登録すべき故郷であるベツレヘムに向かいました。その登録は無事に済んだのでしょうか。『ベツレヘムにいるうちに』と言うのですから、多分手続きは済んだのでしょう。それまでの宿もあった筈です。しかし、思いがけず早い出産となり、それまでの宿にはいられなかったのでしょうか。何故親戚の家ではないのか、不可解です。

 細かい事情は分かりませんが、『泊まる場所がなかった』ことが、そのことだけが強調されて描かれているのだと考えます。


○ 些末なことに拘っていると聞こえるかも知れませんが、未だ拘ります。

 『布にくるんで飼い葉桶に寝かせた』、飼い葉桶です。つまり、宿の家畜小屋の中の飼い葉桶です。拘りに拘れば、馬小屋とは書いてありません。馬の飼い葉桶とも書いていません。同じ字が、聖書中、3回だけ使われますが、他はロバの飼い葉桶です。

 今日、これを絵本にすると、実にロマン風味溢れる美しい場面になります。しかし、家畜小屋です。飼い葉桶です。馬だろうがロバだろうが、家畜の飼い葉桶です。


○ 高校1年の夏休みに、徒歩旅行をし、北上山地の山の中を歩いていました。突然の嵐になり、雷鳴がとどろきました。文字通りに滝のような雨になり、宿を探しましたがありません。テントを持っていましたが、そんな者が役立つ状況ではありません。やっと、家畜小屋を見つけて、そこに潜り込みました。助かったと思ったのですが、その後がいけません。

 臭い、田舎の生まれ育ちですから、牛や馬のことは多少知っていましたが、生やさしい臭いではありません。

 私たちの枕元で、馬が小便をします。これがすさまじい。音も臭いも酷いものです。


○ 芭蕉の奥の細道に記されています。

 「蚤蝨 馬の尿する 枕元」 のみしらみ うまのばりする まくらもと

 全くこの体験をしました。そして、とても耐えられず、また雷鳴する中を歩きました。

 後で知ったことですが、この日、高校生の登山グループが雷に打たれ大勢亡くなりました。場所は違いますが、命の危険がありました。しかし、臭いには耐えられませんでした。

 イエスさまの誕生は、この家畜小屋の中、飼い葉桶です。

 かけらもロマンチックな要素などありません。

 因みに、芭蕉の句を、確認のためネットで見ましたら、この時芭蕉が宿とした旅館に泊まりませんかという公告が掲載されていました。如何にもロマンチックなこととして。

 その旅館は、「蚤蝨 馬の尿する 枕元」なのでしょうか。些末ついでに、昔中学校で習った時には、「のみしらみ うまのしとする まくらもと」だったように思うのですが、私の記憶違いでしょうか。岩波文庫版で調べたら、しと でした。


○ 私たちは時間旅行の客ではありません。イエスさまの十字架の時を偲び、誕生の時を偲び集まりますが、それは観光でもレジャーでもありません。礼拝です。

 ユダヤ人は自分たちの存在を、しばしば旅人に譬えます。キリスト者も、旅人を自覚しています。クリスマスの博士のように、クリスマスの星を目当てに旅を続けます。1年旅して、また元の場所に戻ってきます。


○ 幸いなことに、この旅には同行者がいます。つまり、一緒に礼拝する仲間がいます。最初の礼拝に集まった博士たちも、多分3人連れです。羊飼いたちにも仲間がいます。これはとても幸いなことです。

 このクリスマス礼拝からクリスマス礼拝に向かう旅は、2000年以上続けられて来ました。襷を渡すようにして続けられて来ました。これはとても幸せなことです。

 イエスさまが十字架に付けられた時、そこには殆ど誰もいなかったかも知れません。誕生の時も、侘しいものだったかも知れません。しかし、今、多くの人がいます。イエスさまの後に従う多くの人が存在し、今、この時間に礼拝を持っています。


○ 芭蕉の晩年の句。「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」。ちょっと悲しいけれども、そこには夢もあります。芭蕉の人生そのものが感じられるようで、大好きです。

 「この道や行く人なしに秋の暮れ」は、悲し過ぎます。俳句の道の同行者、後継者はいないという意味に取れてしまいます。

 私には俳句のことは分かりませんが、信仰の道は、これとは違います。

 旅の同行者がいます。先達がいて、後に続く者がいます。


○ 2020年、教会の歩みは、大きな試練に出会いました。礼拝を守れないなどということは、戦後なかったことです。世の中全てがそうだからと、諦めてもいますし、それ程深刻に感じていないかも知れません。しかし、後遺症は、世間よりもずっと酷いかも知れません。世の中のいろんなお店に客が戻っても、教会には戻らないかも知れません。その時こそが、教会が、信仰が試される時です。教会を暗闇が覆うかも知れません。その時に、クリスマスの星を見出すことが出来れば、教会の旅は続けられます。