▼マタイ福音書のクリスマス物語で、東の方からエルサレムに来た占星術の学者たちが、ヘロデ王に尋ねます。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです』 この問いは至極当然なものです。新しい王は、イスラエルの都、それも、王さまの宮殿の内に誕生する筈です。それが普通です。もし、王さまに王子が生まれなければ、王の弟の子が王子となるでしょうか。そこにも子がなければ、誰かしら有力な王族・貴族の内に生まれた子どもが、王子とされるでしょう。何れにしろ、宮殿の内、少なくともエルサレムの都の内に違いありません。そうではないとすれば、それは一大事、大政変です。 ▼この際に、マタイ2章3節、 『これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった』 ヘロデ王の知らない王子が、後の王が誕生したら、これは一大事です。 そういう意味では、『ヘロデ王は不安を抱いた』のは、うなずけることです。 しかし、それにしましても、このニュースを持って来たのは、『東の方からエルサレムに来た占星術の学者たち』です。 「〜の方から来ました」というのは、要注意だそうです。例えば、「消防署の方から来ました」と言って、信用させ、インチキな消火器を売りつけるという押し売り商売がありました。「消防署から来ました」ではありません。「消防署の方から来ました」です。 同様に、「警察の方から来ました」があります。「銀行の方から来ました」も、「郵便局の方から来ました」もあるそうです。 ▼『東の方からエルサレムに来た』というのは、文字通り、方角を言っているので、インチキ商売に比べてはならないかも知れません。しかし、『東の方』がどこかは特定されていません。バビロンでも、ニネベでも他の都でもありません。『占星術の学者たち』は、身分不詳、出自不明です。 そういう者たちの、また、極めて曖昧なニュースに惑わされて、『ヘロデ王は不安を抱いた』と記されています。ヘロデ大王とまで呼ばれていた人物がです。 また、『エルサレムの人々も皆、同様であった。』と、記されています。 何と、大袈裟なことでしょう。大袈裟としか聞こえません。しかし、これが事実だったのです。 ▼何故なら、大王とまで呼ばれていたヘロデの王位は、実は不確かなものだったからです。 詳しく話していたら時間が要りますし、なかなか話が込み入っていますので、端折って結論部だけを申します。ヘロデはそもそもユダヤ人ではありません。イドマヤ人です。ユダヤ人から見れば、ユダヤに隷属してきた、一段階劣った民族です。 イドマヤ地方の一族長のそれも長子ではない者が、当時の政治的混乱の中、正に成り上がって、ローマ帝国下のイスラエル王位を得ました。 そのことに、屈託した思いも、実際的な不安も持っていたものと思われます。 上下水道の整備とか、オリンピックの開催とか、民心を買うためにいろいろと配慮もしましたが、効果は出なかったようです。そのためには、資金が必要で、神殿税にまで手をつけたことから、却って逆効果、民衆の反感を買ったと言われております。 ▼また、その晩年、妻子、昔からの旗本の将軍まで含めて、大勢を粛正しました。これらが、自分の王位を窺っていると、不信を抱いたためです。 …彼には、一つの伝説があります。イスラエル人の姿形が美しい100人ずつの少年少女を、王宮の内に住まわせていました。自分が死んだ時には、この200人の首をはねよと遺言していました。自分が死んでも涙する者はないから、無理にでも涙を流させてやるというのです。 この伝説がどれほど信憑性のあるものかは分かりませんが、少なくとも、このような伝説が生まれる程に、ヘロデ大王には敵が多かったようです。 マタイ福音書のクリスマス物語にも、このことは反映されています。 ▼さて、前置きに過ぎない、マタイの話が長くなりました。 イザヤ書を改めて読みます。7章2節。 『しかし、アラムがエフライムと同盟したという知らせは、ダビデの家に伝えられ、 王の心も民の心も、森の木々が風に揺れ動くように動揺した。』 アラム、即ちシリアです。『アラムがエフライムと同盟した』、所謂、シリア・エフライム同盟が成立しました。アッシリアという北の大国、大脅威に備えるためです。これがシリア・エフライム戦争につながってまいります。 この間の経緯・事情も詳しくお話ししていればキリがありません。結論部だけお話ししますと、シリア・エフライム同盟に協調すべきという党派、長く深い関わりがあるエジプトをこそ頼みとすべきという党派、むしろ、アッシリアと結び付くことが現実的だという見方、更には、アッシリアに与することで、北王国が滅びた後、これを併合して、ダビデ・ソロモンの版図を回復するチャンスだと、虫の良いことを考える者まで現れました。 ▼結局は、シリア・エフライム同盟を退けたことで、これがユダヤに侵攻し、大被害を受けます。アッシリアに救援を求めた結果、ついに、アッシリアが軍を動かしました。 と言いますのも、この時代であっても、戦を起こすには大義名分が要ります。アッシリア軍の前線兵士は、かつてアッシリアに滅ぼされた国々から連行された者です。あまりむちゃくちゃなことをすれば、反乱が起きるかも知れません。だから、戦には大義名分が要ります。 しかし、ひとたび動き出した軍を止めることは出来ません。異民族の兵士たちは、最初は嫌々でも、ユダヤに攻め入ったからには、そこでの見返りを求めます。シリア・エフライム同盟をたちまち駆逐したアッシリア軍は、そのまま、ユダヤ各地で略奪を働き、その狼藉はエルサレムの都にまで及んだのです。 ▼『しかし、アラムがエフライムと同盟したという知らせは、ダビデの家に伝えられ、 王の心も民の心も、森の木々が風に揺れ動くように動揺した。』 全く無理からぬことなのです。 今から、2800年以上前の出来事です。しかし、聖書は常にそうですが、時間を超えて、私たちに語って来ます。不思議に、現代の日本に通じるものが存在するのです。 先の総選挙、この争点となった事柄、内憂外患、事柄の組み合わせによって、無数の党派が生まれてしまいました。 自民党の大勝という形で終わりましたが、実は、自民党の得票率は、四分の一を僅かに超えただけです。それも、あくまでも、投票総数の中での割合に過ぎません。 全有権者数で言えば、20%を大きく下回ってしまうのです。 もちろん、他の政党はもっと少ない数字です。 ▼『森の木々が風に揺れ動くように動揺した』 『揺れ動く』のが『森の木々』なら、未だよろしいのですが、日本では、国家の政治や経済の基盤が、そして地面そのものが、『揺れ動』いています。 ここ10年ほど、それ以上前から、日本は不安の時代に突入したかのようです。 年金、雇用、災害、隣国との関係、上げればキリがありません。 ▼『森の木々が風に揺れ動くように動揺した』、『王の心、民の心』に、主は何と語りかけられたでしょう。主は、イザヤに命じます。4節。 『彼に言いなさい。落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない』 『落ち着いて、静かにしていなさい』です。 同じ4節。 『アラムを率いるレツィンとレマルヤの子が激しても、 この二つの燃え残ってくすぶる切り株のゆえに心を弱くしてはならない』 今、ユダヤを脅かす者は、『燃え残ってくすぶる切り株』に過ぎないと言います。激しているのは、シリア・エフライム同盟を結んだ者は、『燃え残ってくすぶる切り株』に過ぎないと言います。 激している者に対抗する術は、『落ち着いて、静かにしてい』ることなのです。 『落ち着いて、静かにしてい』るとは、静かに神の言葉を聞くことです。激しているのは、自分の心を、自分の感情を見つめているからです。 ▼このことはクリスマスの物語に重なるように思います。 ルカ福音書1章8〜13節。 『8:さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、 9:祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。 10:香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。 11:すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。 12:ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。 13:天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。 あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。』 ザカリアは、たった独りで聖所にいた時に、主の天使に出会い、全く思いがけない言葉を聞いて、激しく動揺します。その彼に、天使は『恐れることはない』と言うのです。 この後、ザカリアは天使の言葉を素直に受け入れられなかったために、口がきけなくなるという罰を、受けます。つまり、沈黙の罰です。 ▼さて、残された時間、後半に目を向けます。 『10:主は更にアハズに向かって言われた。 11:「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」 12:しかし、アハズは言った。「わたしは求めない。主を試すようなことはしない」』 『わたしは求めない。主を試すようなことはしない』 結構な言い分に聞こえますが、アハズの言葉は偽善です。 彼は、文字通りに『求めない』のです。神の言葉を求めていません。『しるしを求め』ていないのです。 少なくとも、主は、自ら『主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に』と、そう仰っているのにです。 ▼13節。 『イザヤは言った。「ダビデの家よ聞け。あなたたちは人間に もどかしい思いをさせるだけでは足りずわたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか』 結局、彼らは、『森の木々が風に揺れ動くように動揺』する人々なのです。 神に聞く、神に求めることをしないから、そうなのです。揺れ動くものでしかない人間を、人間の言葉を頼りにしているのです。 ▼14節。 『それゆえ、わたしの主が御自ら あなたたちにしるしを与えられる。 見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。』 『インマヌエル』。マタイ福音書1章23節。 『23:「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエル と呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。』 『神は我々と共におられる』、これが、神によって与えられた印です。『森の木々が風に揺れ動くように動揺』する人々に『恐れるな』と、平安を約束する言葉です。『おとめが身ごもって男の子を産む』、平和の約束です。 ▼15〜16節では、今、ユダヤを脅かす二人の王、その国が、『捨てられる』ことが告げられています。 これは、ユダヤにとっては、安心材料でしょう。 しかし、同時に、17節。恐ろしい預言が語られます。 『主は、あなたとあなたの民と父祖の家の上に、エフライムがユダから分かれて以来、 臨んだことのないような日々を臨ませる。アッシリアの王がそれだ。』 既に申しましたように、シリア・エフライム戦争に乗じて、アッシリアの軍が攻め込むのです。 ▼預言者は、無非現実的な綺麗事をいっているのではありません。誰よりも、現実を見ています。王や兵士たちの力ではどうにもならない厳しい元和実を見定めています。 だからこそ、『森の木々が風に揺れ動くように動揺』する人々に対して、静まって神の言葉を聞けと預言し、恐れるなと預言し、そして、様々な思惑に惑わされずに、本当のしるしを見よと言うのです。ただ、クリスマスのしるしをです。 |