○ 私は、暑い夏を迎えますと、必ずと言って良いほど、原民喜の作品を開きます。既に30年来の習慣です。原民喜の生涯は短く、また寡作な作家です。自然、同じ作品を繰り返し読むことになります。 文学の時間ではありませんから、詳細にとはまいりません。ごく簡単に、原民喜を紹介します。 原民喜は1905年、広島に生まれました。1944年、39歳の時、愛する妻を病気で亡くしました。妻の死を描いた、強烈な印象を残す作品群があります。 ○ その中で、『遙かな旅』の、この一節を引用します。 「もし妻と死に別れたら一年間だけ生き残ろう、 悲しい美しい一冊の詩集を書き残すために…」 原民喜が妻の死をどのように受け止め、苦悩したか、これだけで十分にお分かりいただけるかと思います。 翌45年春、兄を頼って、実家の広島に疎開し、8月6日、原爆に遭いました。 寡作な原民喜ですが、この被爆体験については、何とも生々しい記録を、たくさん残しています。それが、原民喜の代表的作品です。 ○ この時期の日記に、こんな言葉がみつかります。 「死んでいった者への悲しみによって、貫かれなければならない」。 この言葉こそが、原民喜の作品と人物を語っています。 誰かが、死んでいった者を覚え、死んでいった者への思いを、何より大事に抱えて生きなければ、死んでいった者は、あまりに惨めで、死んでいった者は、あまりに悲しい。 だから、生き残った者は、死んでいった者への悲しみによって、(その人生を)貫かれなければならない。 何とも、辛い悲しい思想を展開し、これを貫くのです。 ○ 1951年、西荻窪駅の近くで鉄道自殺し、46年という彼の短い人生は、「死んでいった者への悲しみによって、貫かれ」て、終わります。 「もし妻と死に別れたら一年間だけ生き残ろう、 悲しい美しい一冊の詩集を書き残すために…」 結果は、7年生き延びることになりますが、その7年は、「死んでいった者への悲しみによって、貫かれ」たものでした。 ○ 8月は、日本人にとって、平和について思いを巡らす時です。ですから、日本基督教団でも、8月第一主日を『平和聖日』としています。しかし、第2主日の方が、原爆や終戦の記念日に近くなります。 8月は、日本人にとって、平和について思いを巡らす時です。思いを新たにしなければならない時です。否、それ以前に、「死んでいった者への悲しみによって、貫かれなければならない」時なのではないでしょうか。 8月は、日本人にとって、そのような時でなければならないのではないでしょうか。 昔は、家々で、お盆の迎え火を焚き、ご先祖の霊を迎えました。勿論、それは、私たちの信仰とは違いますし、年に数日だけ、「死んでいった者への悲しみ」を思い起こすというのも奇妙なことではあります。 しかし、それさえしない、全く忘れて生きている現実を、私たちはどのように考えたら良いのでしょうか。 そして、このことは、戦争そのものにも当て嵌まります。 私は、丁度『戦争を知らない子どもたち』の年齢です。『戦争を知らない子どもたち』よりも年配の、実際に戦争を体験した世代の人々は、『戦争を忘れた大人たち』ではないのでしょうか。 勿論、『戦争を忘れられない老人たち』も存在します。『戦争を忘れたい老人たち』も存在します。 ○ 南京大虐殺については、その真偽や規模について議論があります。本当の所は不明ですが、何も無かったとは考えられません。その直接の当事者は、実行したのは、会津の舞台です。731石井部隊も福島の部隊です。その両方に白河から徴兵された兵士が関わっています。 私は白河教会時代に、体験者から話を聞く機会がありました。これは一種、秘守義務を伴う話だったので、詳しくは申し上げられませんが、この人は、「自分が戦犯ならずに済んだのは、たまたま事の前に病気になり部隊を離れていたからだ。戦友であり親友である彼が戦犯となり処刑されたのは、ただ運が悪かったからだ」と話しました。 この人にとって、戦争は、「忘れたくとも忘れられない時」に違いありません。 ○ 文学の時間ではないのに、諄いかも知れませんが、もう一人の作家・作品に触れたいと思います。 原民喜とは違って、誰もが知る作家であり、テレビドラマや舞台の原作ともなった、ごく有名な作品です。 山本周五郎の『昔も今も』です。 時間を掛けてお話出来ないのは残念ですが、仕方がありません。 多分、前後の脈絡とか、かなり入り組んだ人間関係とかは、省略しても、お分かりいただけると思います。肝心な場面の肝心な台詞だけ、引用致します。 …「だがおめえとしちゃあそれじゃあ済まねえ筈だ、 おめえは死んでゆくひとと約束したんだ、 生きてる人間なら、怒ることも撲(なぐ)ることもできる、 けれども死んだ者には苦情を言うこともできやあしねえ、 おめえが本当に博打をやめて、おまきさんをしあわせにし、 妃六の店をしっかりやってゆく、大丈夫まちがいないと信じて 安心して眼をおつぶりなすった、それを裏切るってえのは罪だぜ、 清次、そうじゃあねえか」。 ○ 死んで行った者との約束は、絶対に破ってはなりません。死んで行った人間を裏切ることは大罪なのです。 私は、十字架に赴くイエスさまとの約束と、それを破った弟子たちのことを連想しないではいられません。重ねて読まないではいられません。 ○ 3節と4節の前半をもう一度読みます。 『それともあなたがたは知らないのですか。 キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、 またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。 4:わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました』 ○ 私たちは、十字架のキリストへの「悲しみによって、貫かれなければならない」のです。主の十字架の苦しみを忘れてはなりません。主の十字架の苦しみを、自分自身の苦しみとしなくてはなりません。 私たち日本人が、都合良く忘れてしまったことを、原民喜は、そして山本周五郎は、決して忘れるなと、訴えているように思います。 ○ しかし、その一方でキリスト者としては、原民喜を礼賛することは出来ません。ここには、何の救いもありません。何の希望もありません。 イエスさまの十字架にも、何の救いも、何の希望もないのか。そんな筈はありません。 4節と、5節を読みます。 『わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、 その死にあずかるものとなりました。 それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、 わたしたちも新しい命に生きるためなのです。 5:もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、 その復活の姿にもあやかれるでしょう。』 ○ 私たちは、死んでいった者への悲しみによって、貫かれなければならない、のか、その通りです。しかし、同時に、十字架に赴かれるイエスさまは、もう一つの約束を私たちに与えて下さいました。それは、ガリラヤでの顕現です。もう一度、会うことが出来るという約束です。復活の命の約束です。 私たちに与えられた約束は、死んでいった者との約束です。しかし、それだけではありません。私たちに与えられた約束は、復活された方との約束です。 ○ 話が突然変わります。少し辛抱して付き合って下さい。 我が家には、チノコという名前のキャバリア犬がいました。何故チノコという名前かと言いますと、うちの子だからです。竹澤さんちのこだからです。それはどうでもよろしいんですが、このチノコに、指さしして、あそこに行きなさいと行っても、通用しません。ここに来なさいならば、分かります。あっちとか、そっちとかは分かりません。 指さした方向を見ることは出来ないのです。 何度も指図を繰り返しても、必死に、指先を見ています。 ○ 私たちが、目を向けなくてはならないのは、イエスさまが指さしたその方向です。 十字架に架けられた方の約束に生きるとは、十字架に架けられた場所、十字架に架けられた時間に戻っていくことではありません。そこに留まることではありません。 十字架に架けられた方が、指し示された方向に目を向けること、こそが、十字架に架けられた方との約束によって貫かれることです。 ○ 原爆で、戦争で「死んでいった者への悲しみによって、貫かれ」ることも、実は、同じことではないでしょうか。もし、死んでいった者に背を向けることになろうとも、その死んでいった者が見ていた方向を見なくてはならないのではないでしょうか。 死んでいった者が、生きようとしていた人生を、生き抜くことこそが、「死んでいった者への悲しみによって、貫かれ」ることではないでしょうか。 勿論、それは、死んでいった者を忘れてしまい。死んでいった者が、初めからいなかったように考え、振る舞うこととは、全く別のことです。 ○ 戦争の時、戦争の場所にまで、立ち帰り、そこに立って感じ、そこに立って考えることは、勿論大事なことでありましょう。是非必要なことかも知れません。しかし、その場所に立ったならば、そこで何を見るかが、何に目を向けるかが、もっと大事なことです。 ○ 7〜8節を読みます。 『死んだ者は、罪から解放されています。 8:わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます』 この場合の死んだ者とは、洗礼を受けた者という意味であって、命が終わったという意味ではありませんが、当て嵌めて考えることは間違いではないと思います。 ○ 時間に制約があります。11節だけ読みます。 『このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、 キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい』 後ろを振り返って、今まで歩いた来た道を拒否することが、「死んでいった者への悲しみによって、貫かれ」ることではないと思います。 むしろ、「死んでいった者への悲しみに」立って、一緒に、その人が生きる筈だった人生を切り拓くことこそが、「死んでいった者の悲しみに」報いることだと考えます。 その時には、希望が見えて来ます。そして、この希望の中でこそ、初めて、「死んでいった者の悲しみ」、苦難も、意味付けられると考えます。 ○ 政治的な話にしてはなりませんし、蛇足にならないように、詳細は申しませんが、私たちの教会も、日本基督教団も同じことだと思います。人間的な思いが勝って、主から与えられた福音宣教の使命を、損なったのが、戦争中の、私たちの教団です。 戦後の教団で信仰生活を送る者は、教団によって傷付けられた人々への、「死んでいった者への悲しみによって、貫かれなければならない」と思います。 だからこそ、私たちは、私たちに与えられた主の宣教命令に立ち帰り、その使命を全うすべく、過去にではなく、むしろ、未来にこそ、目を向けるのです。 十字架に架けられた方からいただいた伝道の使命に、生きることこそが、私たちの戦争責任告白では内でしょうか。 それは、死んでいった者を忘れてしまい。死んでいった者を、初めからいなかった者のように考え、振る舞うこととは、全く別のことです。 |