日本基督教団 玉川平安教会

■2020年8月30日

■説教題 「死にて葬られ
■聖書  マルコによる福音書 15章42〜47節 


○ 思う所ありまして、マルコ・ヨハネの違いはあれ、今週と次週と同じ出来事を記してある箇所を読みます。説教題も同じ【死にて葬られ】としました。これは使徒信条に従った結果ですから代えられません。このような機会ですから、二週かけて、普段よりも細かいことも見てまいりたいと思います。


○ 42節。

 『既に夕方になった』

 単に時間を表現しているのではありません。ここまでマルコ福音書は『昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた』、『三時にイエスは大声で叫ばれた』というように、正確に時間を記しています。こういう表現はマルコ福音書では例外的なことです。普通は、その出来事が起こった時間を記録することなどはありません。その出来事が朝昼夕の何時起こったのかさえ、無関心と言いますか、殆ど記されていません。

 この十字架の場面でだけ、『昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた』、『三時にイエスは大声で叫ばれた』と正確な時間を記しています。特別に時間を強調したがったからこそでしょう。

 ならば、埋葬された時間についても、正確に記していても良さそうなものです。しかし、記されてはいません。


○ 何故でしょうか。正確な時間を記さないことにまた、特別な強調があるからだと考えます。

 『既に夕方になった』

 いろんな大きな出来事の後で良く言われることです。「あっと言う間だったようにも思うし、長い長い時間だったようにも思う」。こんな感想ではないでしょうか。マルコにとって、イエスさまが十字架上に息を引き取られてからの数時間は、時間が止まったようにも思えるし、また、あっという間でもあったのでしょう。


○ 正確な時間を記さないことには、もう一つの理由があります。ユダヤの暦では日没と共に日付が変わるので、翌日の安息日が近づいています。安息日・土曜日の前日は、準備の日と言われます。安息日の前日には、安息日に許されていない食べ物の調理等を行い、安息日を迎える準備をしなくてはなりません。

 42節の後半、

 『その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので』

 マルコはわざわざ注釈・説明を加えています。これはマルコらしくありません。ユダヤ人ではない読者のために解説的に付け加えられていると考えられますが、それよりも、日没になれば安息日に入ってしまいます。もう、安息日に禁じられている葬儀・埋葬は出来ません。時間が切迫していると言いたいのでしょう。

 『昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた』、『三時にイエスは大声で叫ばれた』と正確に時間を記してきましたが、午後6時に埋葬されたという表現を採ることは出来ません。


○ 43節。

 『アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て』

 アリマタヤとは地名です。旧約のラマタイム・ゾピムと同じ、今日のレンティス、エルサレムから北西に40キロ程、ユダの北端で、サマリヤの南に当たるそうです。この地名に何か意味が隠されているのか、分かりません。そのような研究はないようです。アリマタヤ、ラマタイム・ゾピムを旧約聖書で見ても目立った記述はありません。ただ、預言者サムエルの出自と関連して、この地名が現れます。これを無理に深読みして、アリマタヤのヨセフとサムエルと結びつけ、更にイエスさまと結びつけることが可能なのかも知れません。イエスさまの父親はヨセフです。しかし、そのような研究はないようです。

 にも関わらず、議員ヨセフについて『アリマタヤ出身で』という説明があるのは、紛れもない歴史上実在の人物が、イエスさまの埋葬に関わったのだと、その信憑性を強調する目的があったと考えられます。


○『身分の高い議員ヨセフ』、この『議員』は、地方議員かも知れませんが、「アリマタヤの議員」とは記されず、『出身で身分の高い』と表現していることから判断して、ユダヤの最高議会サンヒドリンの議員の可能性が高いと考えられます。

 これはなかなかに重要なことです。サンヒドリンの議員にイエスさまの新派、それどころか信者がいたということは小さいことではありません。サンヒドリンの議員数は、71名に過ぎません。そこにヨセフと多分ニコデモと、他にもいたかも知れません。

 どの福音書も、教会の信者にはこんな偉い人がいるというような書き方はしていません。しかし、それはキリスト教的な価値観に基づくものでしょう。社会的に重要な人が教会でも重要だと言わないだけであって、イエスさまの福音の言葉は、貧しい人、虐げられた人だけではなく、インテリ・ハイソの人にも届いていたと考えます。


○ コリント全書1章26節以下。

 『兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。

  人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、

  家柄のよい者が多かったわけでもありません』

 この箇所を、文字通りに読む人は殆どいないと思います。コリント教会員の現実が本当にこの通りだったとしたら、使徒パウロはこんなことを指摘しないでしょう。もしコリント教会員に貧しい人や地位の低い人が多かったならば、こんなことは口が裂けても言わないでしょう。

 実際は真逆でしょう。当時ローマ世界でも最も栄えた港町コリントです。『人間的に見て知恵のある者が多かった』し、『能力のある者や、家柄のよい者が多かった』と考えるのが普通です。だからこそ、パウロはそのような世俗の価値観を教会に入り込ませてはならないと、警告しているのだと考えます。

 イエスさまの弟子にも、少なからず『人間的に見て知恵のある者が多かった』し、『能力のある者や、家柄のよい者が多かった』と見るのがむしろ自然です。


○ マルコ15章43節後半。

 『勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た』

 ピラト総督のもとに出掛け、『イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出』ることは、『勇気』が要ることでした。当然でしょう。十字架刑、最も重い刑罰に処せられた犯罪人です。犯罪人と関わりがあったら、議員にとっては致命的な傷になります。

 それどころか、イエスさまの親族でもないヨセフが名乗り出ることは、自分がイエスの信者であると公表するのに等しいことです。カミングアウトです。『勇気』が要ります。

 このエピソードが記される理由の一つは、後々、初代教会でも同じことが起こったからではないでしょうか。ローマ帝国で高い地位にあった人の中にも、信者がいたようです。しかし、それをカミングアウトすることは容易ではなかったでしょう。このような隠れキリシタンじみた人に決断を迫っているのかも知れません。

 この箇所には登場しない学者ニコデモも同様だったと考えられます。この人については、次週読みますので、今日はこれ以上触れません。


○ アリマタヤのヨセフは、勇気を出しました。口語訳聖書では『大胆にも』とあります。後で述べますように、政治的な立場上、はばかられるものがありましたが、ヨセフは勇気を出しました。

 何故なら、『この人も神の国を待ち望んでいた』からです。

 当時のユダヤ人の中には、神の国の到来を待ち望んでいた人々が存在しました。ユダヤ教徒に留まり続けながらも、キリスト教に親近感を持っていたと言われます。ヨセフ自身はどうだったでしょうか、マタイ福音書は、27章57節で主イエスの弟子だったと記しています。

 マルコでは明言されていませんが、しかし、単なる新派が、政治的にも危険を犯して、『イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出』るとは考えられません。

 当時、死刑囚は墓を持つことは出来ませんが、身内の者がこれを引き取ることは出来たそうです。しかし、ヨセフつながりでイエスさまの親戚筋だったとも考えられません。

 理由はただ、『この人も神の国を待ち望んでいた』からです。


○ 逆に言えば、『神の国を待ち望んでい』る人は、その信仰を他人に隠して生きることは出来ません。信仰を他人に隠して生きることは、辛いことでしょうが、矢張り正しいことではありません。

 人に隠して信仰を育てた人を、何人も知っています。プライバシーに関わりますから、詳しくは言えません。ある女性は、ご主人が県の偉いお役人でした。この人は、自分の立場上、奥さんが教会に通うことをこころよくは思っていません。何しろこの県では、県知事が元藩主の家に繋がる神官の出でした。万事保守的、旧弊です。

 この人は、必ず礼拝に遅刻します。夫は日曜日でも出勤します。休日出勤ですから、普段より遅い時間になります。夫が家を出るや否や、この人はタクシーで礼拝に駆けつけます。そして、終わるや否や、タクシーで帰ります。

 この人にとっては、辛い辛い戦いでしょう。似たような人を何人も知っています。

 ある女性については、その人のご主人から話を聞きました。「妻が食前のお祈りをすることを止めさせるのに20年かかった」と、私に自慢げに言いました。


○ 辛い辛い戦いです。ですから、信仰を人前に言い表せないようでは駄目だ、などと言うつもりはありません。神さまの前で告白すればよろしいでしょう。

 しかし、これらの女性たちが、やがて夫の前にも、人前でも信仰を言い表せる時が来るのを願います。それこそが解放の時だからです。

 アリマタヤのヨセフは、『イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出』ることで、信仰を言い表し、そして救われたのです。


○ 44節。

 『ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、

   百人隊長を呼び寄せて、既に死んだかどうかを尋ねた』

 『不思議に思』ったのは、意外な程に短時間だったからです。頑健な者は、喚き呻き罵り、十字架上で3日も持ちこたえたと言われます。

 『既に死んだかどうかを尋ねた』のは、死刑囚の死は、公式に確認する必要があったからでしょう。しかし、それだけではありません。ピラトは矢張り何かしら感じることがあったのでしょう。イエスさまの処刑がすんなりと済むとは思えなかったのです。何かが起こることを怖れていたし、心の片隅では期待していたのかも知れません。

 引き取りを許したのも、特別の計らいです。


○ 46節。

 『ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、

   岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた』

 『岩を掘って作った墓』、詳しいことを述べる暇はありませんが、この当時の墓は、特に地位の高い人の墓は、岩を穿って作られました。簡単に出来上がるものではありません。ヨセフが自分自身と家族のために、予め作っていたものでしょう。ヘブライ人は、死後にも家族関係が続くと信じていたので、遺体は同一家族の墓に埋葬されます。他人を葬ることはありません。日本と同じです。ヨセフはその墓をイエスさまのために用いたのです。

 逆に言えば、ヨセフはイエスさまを受け入れたし、そのことによって、キリスト者として受け入れられたのです。隠れキリシタンではありません。


○ 47節。

 『マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた』

 この行為の意味は二つあります。一つは後で、墓を見分けることが出来るように、場所を確認したということでしょう。

 もう一つは、マグダラのマリアとアリマタヤのヨセフとの対比です。いろんな意味で真逆の立場に立つ人です。当時のユダヤ社会で最底辺にいる人と、最高位の人です。イエスさまのために捧げたものもまるで違います。その信仰を言い表した経緯も、まるで違います。

 しかし、ギリギリ追い詰められた所で、その信仰を表した点では全く同じです。

 逆に言えば、イエスさまは、どんな立場にある人をも、救い出されますし、どんな立場にある人をも、その御用のために用いられます。


○ 蛇足かも知れませんが、話を戻して申します。

 いろんな理由で公然と信仰を言い表すことの出来ない人がいます。おおっぴらに礼拝に出られない人があります。そこには戦いがあります。葛藤があります。しかし、戦い続けるならば、時が与えられると信じます。それはもしかしたら、自分自身の葬儀の時かも知れません。

 逆に、葬儀の時に自分の信仰を、遺族によって否定される場合があります。牧師として、何度もそのような場面に遭遇しました。決して少なくはありません。

 そのためにも、自分の信仰を、子や孫にだけは告白しておいた方がよろしいと思います。

 教会のために働くことが出来ないと、苦しむ人があります。自分を責める人があります。しかし、誰が教会に有用で誰が無用か、それは誰にも分かりません。自分にも分かりません。ただ神さまだけがご存じです。

  先ほど引用したコリント前書の続きの部分を読みます。

 『ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、

   力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。

  それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです』

 信仰の業を自分の手柄とし、人前に誇ることは意味がありません。それはむしろ、神さまの業を、力を、蔑ろにすることです。

 神さまの前で自分を責めることも、同様に意味がありません。それはむしろ、神さまの業を、力を、蔑ろにすることです。