○ 12節からご覧下さい。 『ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、 遠くの方に立ち止まったまま』とあります。 『出迎え』という翻訳は、他の聖書や注解書には見られません。新共同訳聖書だけが、このように翻訳しています。ギリシャ語を見ても、そもそも『出迎え』に相当する単語はありません。口語訳聖書でも、『出会い』であって、『出迎えた』とはなっていません。 『立っていた』というのが直訳です。意訳しても、せいぜい立ち止まったくらいです。それを『出迎え』と訳しているのは、そのような写本が存在するのでしょうか。口語訳聖書の、『出会い』も意訳なのでしょうか。私には分かりません。 多分、この言葉で、10人の者の、切実な思いを表現しているのだと考えます。 ○ この10人は、何かしら、イエスさまについての情報を持っていたのではないでしょうか。イエスさまの名のもとに、数々の奇跡が現実になっている、私たちと同じ病の人も癒されたそうだ。そういう情報を得ていたと想像することが出来ます。 『重い皮膚病を患っている十人の人』は、決して、ただ偶然、ここに居合わせたのではありません。 文法的にはともかく、新共同訳聖書にありますように、期待をもって『出迎え』たのではないでしょうか。 その一方で、この『出迎え』たということ、つまり、救いを求める切実な思いがあったことを、19節の、『あなたの信仰があなたを救った』と重ね合わせて考えることは出来ません。 救いを求める切実な思いこそが信仰であり、この信仰故にこそ、人は救われるというように解釈するのは無理があります。 第一に、『出迎え』たということ、つまり、救いを求める切実な思いがあったことは、10人皆に共通しているのであって、一方で、『あなたの信仰があなたを救った』と言う言葉は、その内の一人だけに、与えられています。他の9人はこれに該当しません。 ○ ところで、『出迎え』たのであり、彼らには、救いを求める切実な思いがあったのならば、何故彼らは、『遠くの方に立ち止まったまま』だったのでしょうか。救いを求める切実な思いがあったにしては、消極的すぎるようにも見えます。 それは、律法に記された規定があったからです。当時の律法では、重い皮膚の病を持つ者は、他の人に近づくことが許されませんでした。 彼らは、家族からも切り離され、村の外れに一緒に生活していました。ファリサイ人は、これらの人々の群れに食べ物を運んだりして、世話をしたそうです。 ○ 重い皮膚の病を持つ者は、健常な者と道で出会って、もし、健常な者が気が付かないならば、未だ遠くにいる内に、ここに病になって汚れている者がおりますと叫ぶ義務がありました。病気が広まらないようにという、手立てだったのです。 何とも、悲しい、残酷な決まりです。日本のライ予防法を連想させられます。感染症に対する手立てとしては、似たようなものです。2000年経っても、あまり進歩していません。何しろ、感染の原因が判明したのは、この時からすれば1900年も後のことです。 この重い皮膚病は、接触感染はしますが、空気感染はしません。しかし、2000年前です。当時は、病気についての正しい知識もありません。しょうがないと言ったら問題でしょうが、それが、現実だったのです。 ○ ここで、こういう疑問が湧いてまいります。 つまり、13節の『イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください』という言葉は、この規定に従った、一種の挨拶に過ぎなかったのでないかという疑問です。『わたしたちを憐れんでください』とは、単純に、『ここに病になって汚れている者がおります』という意味だったのでないかということです。 勿論、この場合は、彼らは、単に偶然ここにいたのであり、期待して、『出迎えた』のではありません。 さて、どちらでしょうか。 『イエスさま、先生』今度は、この呼びかけを見たいと思います。単語が二つこの順番で並んでいます。ですから、新共同訳聖書のように『イエスさま、先生』なのか、それとも、『イエス先生』なのか、分かりません。どちらにしても、珍しい表現です。口語訳では単に『イエスさま』となっています。 先生を様と訳したということでしょうか。 ○ そういう詳しいことは分かりませんが、つまり、ここでも、『イエスさま、先生』と呼び掛けたことや、『わたしたちを憐れんでください』と言ったことをもって、19節の、『あなたの信仰があなたを救った』と重ね合わせて、『わたしたちを憐れんでください』と切実に願ったことこそが信仰であり、この信仰故にこそ、人は救われるというように解釈するのは無理があります。 ここでも、先程申しましたように、『イエスさま、先生』と呼び掛けたことも、『わたしたちを憐れんでください』と言ったのことも、10人皆に共通しているのであって、一方で、『あなたの信仰があなたを救った』という言葉は、その内の一人だけに、与えられました。 ○ ちょっと、些末なことに拘りすぎて、未だ、肝心なことをお話ししていないかも知れません。しかし、『出迎えた』ことや『イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください』と言ったことを、信仰と同一視してはならないという点は、矢張り厳密にする必要があります。 そうでないと、この箇所のメッセージを読み誤ることになると考えます。 ○ 次は、14節になります。 『イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、 体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた』 13節と14節の間で、1節失われてしまったかのようです。つまり、何をどうしたら、この10人が病から癒されたか、何も、記されていません。 こ福音書には、奇跡物語が数多く語られています。しかし、その殆どの場合、イエスさまは何もしておられません。ここでは、それが徹底していまして、イエスさまは遠く離れた場所に立ち止まったままです。声を掛けられただけです。 それも、『癒されよ』とかと仰ったのではなくて、『祭司たちのところに行って、体を見せなさい』です。 ○ 『祭司たちのところに行って、体を見せなさい』と言うのは、普通なら、既に癒された後のことです。祭司に見せて、病気が治ったという証明書を貰う必要があります。そうして初めて、自分の家族や村に戻ることが許されます。 『彼らは、そこへ行く途中で清くされた』とありますが、病気の癒しが行われたのは、むしろ、『祭司たちのところに行って、体を見せなさい』とイエスさまが仰る前です。或いはその瞬間です。 このことからも、この奇跡物語は、10人の重い皮膚の病に冒されていた人が、奇跡的に癒されたという所に、力点が存在するのではないことが分かります。 少なくとも、『あなたの信仰があなたを救った』という言葉は、10人の重い皮膚の病に冒されていた人全員に当て嵌まる言葉ではありません。9人は、その信仰の故に救われたのではありません。 その後のこと、癒やしの後のことが、本当の問題です。 ○ 15節。 『その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た』 ここでも、いかにも聖書らしいのですが、彼らが癒された瞬間を描き出すようなことはありません。想像してみると、なかなか楽しい図だと思います。ドラマや絵本だったら、この場面を省略してはならないと思います。一人一人の癒やされた時の瞬間、それを見た時の他の9人の反応、これを描かないわけにはまいりません。しかし、ルカは何も記していません。それが肝心なことではないからです。何時、どのようにして、癒されたのか、ルカはそんなことには全く関心がありません。 関心は、あくまでも、15節に描かれていること、書き記されていることにあります。 『その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た』 ○ そて、ここは丁寧に読まなくてはなりません。そこで少しだけ前に戻る格好になります。 10人が、村の外れに住まいしていたのも、イエスさまを遠く離れた場所でお迎えしたのも、そして、『祭司たちのところに行って、体を見せ』るのも、皆、律法の規定によるものです。 彼らは、律法によれば、汚れた者とされ、律法の恩恵から外されているような存在でした。しかし、彼らは、同時に律法によって、拘束され、自由のない存在だったのです。律法は彼らを守りません。救いません。しかしながら、決して、律法と無縁の存在ではありません。彼らを拘束しています。 この点、先週申し上げた因果応報論と共通していると考えます。人を守らない、人を救わない、それなのに人を強く拘束します。 聖書の言葉、福音はこれとは違います。人を守り、人を救い、そして人を正しい仕方で自由にするのが、福音です。聖書の言葉です。 ですから、聖書の言葉を律法のように解釈し、因果応報論のように、手枷足枷とするのは、間違いとしか言いようがありません。 聖書の言葉、福音を、律法のように、因果応報論のようにしてはなりません。 ○ 『清くされたのは十人ではなかったか。ほかの9人はどこにいるのか』 イエスさまは、こう仰いました。他の9人は何処へ行ったのでしょうか。 これは、奇妙な問ではあります。イエスさまは、『祭司たちのところに行って、体を見せなさい』と命じられました。当然彼らはそこに向かったのではないでしょうか。律法によれば、祭司に清められたと認定して貰って初めて、病は治ったことになり、彼らは、家族の元に帰ることが出来ます。 つまり、祭司たちのところに行って当然であり、それは律法に適ったことなのです。 もしかすると、奇跡に与った喜びのあまりに、祭司たちのところには行かずに、真っ直ぐに家族の元に向かってしまったのかも知れません。 そうだとしても、仕方がないんじゃないのかなあと思うのですが。いかがでしょう。 どちらにしても、『ほかの9人はどこにいるのか』と咎めることは、理に適わないような気がします。どうでしょうか。 ○『神を賛美するために戻って来た者はいないのか』 ここがポイントです。 イエスさまが問題にしておられるのは、彼らの行いが、律法に合致しているかどうかではありません。人情に照らして容認出来るかどうかでもありません。 そうではなくて、『神を賛美する』ことなのです。 何故『神を賛美する』ことが、他の何よりも大事なのでしょうか。そこにこそ、真の救いがあるからです。 彼らは病のために、神を讃美することから疎外されていました。神を讃美するイスラエルの信仰共同体の一員に数えられることはありません。 迷子の羊であり、失われた銀貨であり、放蕩息子でした。或いは、使徒言行録3章の、麗しの門の前に置かれていた乞食だったのです。 ○ 少し時間が残っていますので、使徒言行録3章にちょっとだけ触れます。 麗しの門の前に置かれて、置かれて … 座っていたではありません … 乞食をしていた男は、ペトロの『わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい』という言葉によって、奇跡に与ります。 『すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、 8:躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、 二人と一緒に境内に入って行った』 乞食を強いられていた男が、1番したかったことは、他の健常な人々と同様に、神殿の境内に入って神を賛美することだったのです。彼が救われたのは、『足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩きだした』時かも知れませんが、それ以上に『神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った』ことなのです。 これを見た人々は、その光景に驚き怪しみます。彼らは救いを見たのに、それが救いだとは理解出来ません。 またそもそも、男を神殿の麗しの門の前に置いた人たちは、男に乞食をさせて、上がりをかすめ取っていたのではなく、男の生業を助けていたたのかも知れません。今日の福祉だったのかも知れません。朝晩男を手助けしていました。しかし、誰も、乞食を神殿での礼拝に連れて行きたいとは考えません。それが救いだとは思っても見ません。 ○ さて今、彼は病癒されて、神を讃美するために帰って来ました。その時に、彼は、迷子の羊ではなくなり、失われた銀貨ではなくなり、放蕩息子ではなくなりました。再び、イスラエルの信仰共同体の一員に数えられました。それが、救いということです。 神さまが彼を呼び戻したのです。それが、救いということなのです。 神さまが呼び戻して下さった10人の病める者の内、戻ってきたのは、一人だけでした。 ○ 1番最初に戻って、『あなたの信仰があなたを救った』とは、男が感謝したことに他なりません。麗しの門前の乞食と重ねると、礼拝できることを感謝することこそが、信仰です。 |