♪ 順に読みます。7〜8節から。 … 07.二つのことをあなたに願います。わたしが死ぬまで、それを拒まないでください。 08.むなしいもの、偽りの言葉を わたしから遠ざけてください。 貧しくもせず、金持ちにもせず わたしのために定められたパンで わたしを養ってください。… 8節の前半までは、納得出来ます。信仰者としては当然のこととさえ言えます。 しかし、8節後半は、不思議な言葉、奇妙な願いです。 『貧しくもせず、金持ちにもせず』 ここも前半だけなら、理解出来ます。しかし、後半は不思議です。奇妙です。 何故、ヘンテコな願いになるのか、その理由が9節に記されています。 ♪ … 飽き足りれば、裏切り 主など何者か、 と言うおそれがあります。 貧しければ、盗みを働き わたしの神の御名を汚しかねません。… その通りかも知れません。 『盗みを働』く程の貧しさも、『飽き足り』る程の富も、経験ありませんが、そんなものかなと想像は出来ます。 テレビのニュースは、この二つ、両極に分類されるような気がします。 この1〜2年多いのは、賽銭泥棒、無人販売所での泥棒についてのニュースです。中には悪質なものもある ようですが、何れケチな犯罪です。これを大事件でもあるかのように、犯行時の映像を曝して放送しています。 流石に顔は映しませんが、犯行を憎むよりは、何だか気の毒になります。 本人は仕方がないとして、この人にも、親兄弟家族がいるのかなと思うと、むしろ、曝す側に反感を覚えま す。 賽銭泥棒、無人販売所での泥棒を防ぐことが難しいなら、そんなことは止めた方がよろしいのではないでしょう か。 ♪ 始めから脱線気味ですが、個人的見解を言わせて貰います。 誘惑しておいて、捕まえたら、それは罠でしょう。そのことは、スーパーやコンビニにも当て嵌まります。沢山の商 品が陳列されています。無数です。子供たちからしたら、欲しい物の山です。欲しいけれども手に入らない物 の、宝の山です。今時の子どもは大変だなと同情します。 私の子ども時代は、未だ未だ貧しい時代でした。ですから、盗みたくなるほどの商品は見ることもありませんで した。誘惑はありませんでした。万引きという言葉さえ知りませんでした。 今、誘惑は品物だけではありません。無数です。ゲームの機器だって、溢れる程あり、高価な物も少なくあり ません。どの子も買える訳ではありません。現代の子どもは、誘惑に囲まれて生きているのです。 ♪ 9節の前半に戻ります。 … 飽き足りれば、裏切り 主など何者か、と言うおそれがあります。… 正に、このようなことがニュースになっています。富と地位が与えられ、満足し、心が平和になるかと思います と、そうではないようです。 富と地位とを振りかざして、傲慢に走る人が多いようです。 自分が下っ端に居る時には、上の人が殆どですから、当然、下手に出て、謙虚な振る舞いが目立ちます。と ころが出世すると、上は少なくなり、下が多くなりますから、威張り散らすようになります。 昔は謙遜な人だったのにと証言する人がいますが、そうではありません。正体が見えただけです。上には阿り、 下には辛く当たる、そういう人が少なくありません。 ♪ 10節。 … 僕のことを主人に中傷してはならない。 彼はあなたを呪い、あなたは罪に定められる。… 内部告発のことがニュースになっています。10節は、同輩を告発することかも知れませんが、内部告発と図 式は変わりません。 聖書の時代から、これが現実だったのかと、おぞましく思うだけです。 ♪ 11〜12節。 … 11.父を呪い、母を祝福しない世代 12.自分を清いものと見なし 自分の汚物を洗い落とさぬ世代 … 唐突に話題が変わったように聞こえますが、そうではありません。 11節以下は、7〜10節にある事柄の、根本を説いています。 『父を呪い、母を祝福しない世代』 それがヤムを得ない、むしろ当然な家庭生活だった人もいます。悲しい現実です。極端に貧しい、父親が大 酒を飲み暴力を振るう、母親は男にだらしない、そんな家庭があります。しかし、それだから、『父を呪い、母を 祝福しない』かというと、そうでもありません。私は二つの擁護施設と9年間関わっていましたので、多少は見聞 きしました。 「酷い家庭だ、早くそこから離れて自由になった方が良い」と思わされるような、家庭環境の子どもが、親を慕 っていたり、その逆に、羨ましいと思えるような両親なのに、子どもは強く反抗したり、いろいろとあります。 ♪ 見逃してはならないのは、『世代』という言葉です。個々の人を指摘しているのではありません。そのような時 代の風潮であり、そのような人が多いと指摘しているのです。 11節よりも12節の方が、この『世代』を言い表しています。 『自分を清いものと見なし 自分の汚物を洗い落とさぬ世代』 もっとぴったりな言い回しがあります。「てめえの尻も拭けないのに」。 そんな3歳児、4歳児が現実にいます。理屈っぽいことまでしゃべります。しかし、未だおしめが取れません。 3歳児、4歳児なら、それが可愛いのですが、中高生ともなると、まして、成人してもとなりますと、まいってしま います。 テレビドラマでは珍しくもありません。父親に反抗し、何かと馬鹿にする子どもが登場します。 私の感想はただ一つ、「そんな御託を並べるなら、自分が家を出れば済むことなのに、親の金で生活してい て、親の家に住んでいて、何を偉そうなことを言うのか」と、私は考えてしまいます。 勿論、一つ一つ、一人一人、異なった状況があります。原則論を振り回して、若い人を裁くのは間違いでし ょう。 しかし、この箇所は『世代』のことです。 ♪ 13節も同様です。 … 目つきは高慢で、まなざしの驕った世代 … それが14節になりますと、大分様子が違って来ます。そして、『世代』という字は消えます。 … 歯は剣、牙は刃物の世代 それは貧しい人を食らい尽くして土地を奪い 乏しい人を食らい尽くして命を奪う。… これは青少年の姿ではありません。何かしらの権力を掌握した者の姿です。 11〜13節の若者が、結局14節のようになるということかも知れません。 9節に描かれた人の姿と重なります。 『飽き足りれば、裏切り 主など何者か、と言うおそれがあります。』 一言、傲慢です。豊かな家庭に育ち、何不自由なく成長した果てが傲慢では、がっかりです。詩人は、自分 がそのようにならないためには、富は要らないと言っているのです。 ♪ 時代の合言葉である女性の社会進出と併せて、こんな言葉を最近何度も耳にしました。 「ガラスの天井を突き破る」 絶対のものと考えられていたことが、必ずしもそうでもなく、ガラスのように突き破ることが出来るのだという意味 です。 しかし、私は「ガラスの天井」から、ガルシンの短編小説を連想しました。『青い花』に収録されていた『アッタレ ーヤプリンケス』です。60年も前に読んだもので、手元にはありません。ネットで調べても分かりませんので、題 名は少し違うか知れません。 内容も大雑把な記憶に頼ります。 植物園の『アッタレーヤプリンケス』、究極の王女でしょうか。彼女は、自分が植物園の女王だと自負していま す。他の植物、まして、彼女の足下に植えられた草花などは、見下しています。こんな小さい植物園に閉じ込 められているような卑小な存在ではないと考えます。彼女はぐんぐん成長して、ついに「ガラスの天井」を突き破 りました。 解放され、自由を得ました。 しかし、その瞬間、冷気が彼女を襲います。長く持ち堪えることは出来ませんでした。 ♪『世代』という言葉と共に描き出されている人々、多分若い人々、彼らを言い表すのにもっとも適切な言葉 は傲慢です。身の程知らずです。 このような人が、成長して地位を得たら大変です。14節になります。 ♪ 15節。 … 蛭の娘はふたり。その名は「与えよ」と「与えよ。」飽くことを知らぬものは三つ。 十分だと言わぬものは 四つ。 16.陰府、不妊の胎、水に飽いたことのない土地 決して十分だと言わない火。… 傲慢な人間の欲望は、限りがありません。これで終わり、満足と言うことがありません。 そんな人間が、世界経済を握ったり、国家元首として君臨したら、これは大変なことです。そういう不幸が、歴 史上ありました。現代もそうなのかも知れません。 ♪「吾ただ足るを知る」という言葉があります。元々は、老子の言葉らしいのですが、賀川豊彦師が、講演など で用いて、教会の中でも知られています。足という漢字の上に、五を書きますと、吾になります。左は、矢を付 け、知になります。右には隹(すい)を入れますと、唯になります。下には、疋、ひきで、足です。 結果、図案のようになります。これで「吾ただ足るを知る」です。 ♪ 17節。 … 父を嘲笑い、母への従順を侮る者の目は 谷の烏がえぐり出し、鷲の雛がついばむ。… 11節は、『父を呪い、母を祝福しない世代』、この表現から始まり、17節で再び、『父を嘲笑い、母への従 順を侮る者』と言われます。 12〜16節は、父母への不孝で括られています。親不孝です。 29章を読みますと、今日の箇所で述べられていることと同趣旨のことが記されています。今日の箇所だけで は分かり難いことが、分かり易くなろうかと思います。 ♪ 今日は、敬老祝福の礼拝です。この後、敬老祝福の祈りを捧げます。 また、礼拝後には、愛餐会を持って、お祝いしたいと思います。 カードも作りました。カードには、聖句が入ります。ところが、敬老にふさわしい聖句がなかなかみつかりません。 ふさわしいと思われる聖句は、既に使ったもので、マンネリと言いますか、またかという感じです。旧約外典の 『ベン・シラの書』には、興味深い言葉がありますが、礼拝説教で外典を用いるのは憚られます。そんな次第 で、この箴言を読みました。 あまり耳障りは良くありません。最初躊躇いながら読みましたが、読んでいる内に、極めて現代日本に当て嵌 まるように聞こえてまいりました。それが聖書の不思議です。 ♪ この箇所は、年若い者への痛烈な警告です。経験の豊かな者を敬い、これに聞くことが肝要だと説かれて います。若さの故に傲慢になってはならないと警告されています。 一方で、このようにも言われています。29章1節。 … 懲らしめられることが多いと人は頑固になる。 彼は突然打ち砕かれ、もう癒すことはできない。… これはよくよく分かります。自分の姿を見るからです。牧師生活47年、いろいろな経験を積みました。その大 半は失敗体験です。ですから、若い牧師の意見・提案を聞くと、いちいち、昔そんなことを試みた、そして失敗 したことを思い出します。つい、その経験を持ち出して悲観的な見解を言ってしまいます。そして、若い人の提 案を潰してしまいます。それが、頑固です。自分が上手くやり遂げられなかったことこそ、若い人に達成して貰い たいと考えなくてはなりません。 29章7節。 … 神に従う人は弱者の訴えを認める。神に逆らう者はそれを認めず、理解しない。 08.不遜な者らが町に騒動を起こす。知恵ある人々は怒りを静める。… 怒りを静める信仰をこそ持たなくてはなりません。肝要でなくてはなりません。 |